日記
20代はだいぶ好きなことをやった。
ニコニコ動画は1000-2000時間見た。
ニコ生も200時間くらいは見た。たぶん。
音楽(やる方)は数百時間はやった。
音楽(聞く方)は途方もない時間費やした。
数学・物理はたぶん1万時間はやった。
漫画1500冊くらい読んだ。1000時間くらいか
アニメも1500話くらい見た。1000時間いかないくらいか
美術館は100回くらいいったか。ゆっくりみるから200時間くらいか
ブログも合計2-300時間くらいは見た。書くのにもだいぶ費やした。
本もたぶん多くは2-300時間くらいは見た。多くないけど小説も読んだ。
適当なネットサーフィンはどれくらいの時間を費やしたのであろうか。
ゲームは1000時間はしたか。
一方、多くのかたは
会社で仕事のスキルを学び、コミュニケーションのスキルを学び、たくさんカネを稼げるようになった。
自分は20代をほとんどカネになるような事はしなかった。
これでよかったと思っている。多少借金しながらでも、自由な時間をとった。
財産は今でも奨学金のマイナスを入れなくてもぎりマイナスのような状況だし、大学時代(学部時代)は正直親のスネをかじるような状況だったし、カネの面では最悪だ。
大学は週1程度のバイトを3年くらいはやったか。大学4年からはやっていない。
大学卒業後の2年間は週3のバイトを半年ちょいと週2のカテキョウを1年ちょいだ。
カネは本当にぜんぜん稼いでこなかった。
運動なんて散歩くらいしかしなかったから、それ以外の時間を完全に趣味的なことに捧げてきた。
それでもよかったと思っている。他人は勧めないけど、よかったと思っている。
大学卒業後の2年間はぜんぜん人との交流がなくて寂しかったけど、その分昨年は十分なほど人との交流があった。
30代はたくさんカネを稼ぎたいとかそういうつもりはあまりないというか、
むしろ、最低限稼いで自由な時間をいっぱい作りたい。
人の話を聞くことについて
人の話をよく聴く人は同性からも異性からも好感度が良くなると私は思う。
逆に言うと人のはなしを聞かない人は、はっきり言うと嫌われたりすると思う。
自分が20代の前半とかは、余裕がなかった、自分の価値観以外のものを許容するということはなかなかできなかったかなと思う。
話していると自然と自分のはなしが多くなった(自慢っぽいはなしも多かった)し、ついつい相手をおいてけぼりにして話してしまうことも多かったかと思う。
その反省もこめて書いてみることにした。
書きたいことは
0.そもそも聞き上手というような相手のはなしを聴く
1.お前は人のはなしを聞かないと言われてきた。
2.相手のはなしを理解する。
蛇足.アスペと言われる人たちへの同情
0.そもそもはなしをきく
”人のはなしを聞く”とググるとどちらかというと、いわゆる”聞き上手になる”みたいなのがでてくるが、聞き上手になることはそれはそれでいいことかと思うが、ここでの記事では、必ずしもそのような趣旨ではない。
だが前提として、人のはなしを聞くというのは、とても人間関係のコミュニケーションの上で重要である。
モテるテクでもある。よく言われるように、相手のはなしを聞くというのは、相手のことが興味があるという証拠であるし、はなしを聞いてあげることで承認欲求を満たすからモテるよってな感じだ。
私の趣味で引用すると、
秋葉原心療内科/モテるマンガ第6回「最初のデートは1時間!」byゆうメンタルクリニック | 秋葉原の心療内科/ゆうメンタルクリニック秋葉原院
にも相手のはなしを聞く重要性が説かれているし、
岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私 サークルクラッシャーの恋愛論 (コア新書) : 鶉 まどか : 本 : Amazon
の著者本人がとったメソッドが、相手の男性(たいていオタク)の趣味に興味を持ってそのはなしを熱心に聞いてあげるだった。(ちなみに、鶉まどかという人は一時期、一週間に3-4人から告られるように男性を仕向けるというほどの承認欲求中毒、コミュケーション中毒という過去を持つひとだ。)
1.人のはなしを聞かないと言われてきた
私はよく10代のころ、親や目上の人から”お前は人の話を聞かない”と言われてきた。私の語彙や会話の考える伝える力が乏しかったせいか、自分は話を聞いていないわけではないと言っても、聞き入ってくれなかった。むしろ、親や目上の人がいっていた人のはなしを聞かないというのは、はっきりいって、”私(親や目上のこと)のいうことをお前は聞かない(ようするに従ってくれない)”という意味であったように感じている。私は話の内容を吟味した上ではっきりと否定をしていたつもりだったし、内容を理解していなかったわけではなかったと今でも思える。
私のこれから使う意味での”人のはなしを聞かない”は、その人のいうことに従えという意味では決してない。”はなし(の内容を理解して)きく”という意味だ。(内容を吟味した上であなたがどう行動するか全く別のはなしである。
2.相手のはなしを理解する
自分は男性だが、モテるための会話術というのでは今回はぜんぜんなく、
どちらかというと議論に近い場合においてのはなしだ。
過去に私が書いた記事で
なぜあの人はあんなわけのわからない主張をいうのか - ふらふらと生きる。
というのがあるが、
極端なことを言うと、全く自分の逆の意見を相手が提示してきた場合どうするかとかそういったはなしだ。上に書いた記事とまぁかぶるのだが、まるで、受け入れられないとなったときに、論理的におかしければ、それを指摘すれば、議論は深まるが、その人の思想というか考え方によるもの、生き方によるもの、その人の時代や記憶(経験)からくるものでであったりすれば、当然ながらどっちが正しいということは、議論のしようがない。
そのときに、どうしてそのように考えるにいたったのかを聞けばいい。まぁたいていは仲良くないと聞けないし、やんわりと聞くとしても相当のスキルがいるんだけど。
上の記事では聞くスキルを身につけるとか面倒だし、そもそもそんなスキルを身につけようとして欲しくないから、単純にたくさんの時間、会話すれば良いとした。
例えば、自分は音楽やその他サブカル関係とても強い思い入れがある。強い思い入れがあるからこそ、これはちっとも面白くないとか思うものがあったりするものだ。
例えば、音楽でヘビメタが嫌いなジャンルだったとしよう。それで、ヘビメタが大好きって人あったら、はなしが結構噛み合わないものだ。それはそれで仕方がないし、人の好き嫌いだからどうなるものでもない。そうなったら、はなしを別に話題にするのも手であるが、さすがに20代よりも今は余裕が出てきたので、例えば、いつから好きなのとか聞いたりすることも有効だと思うし、たいてい嫌いなジャンルも確かにほとんど嫌いだったりする。でも中には、クロスオーバー的なことをやっている人もやはりいるもので、そこから、新しい音楽を見つけることができるかもしれない。
*まとめ*
結局、人の話を聞くというのはコミュケーションにおいて重要です。
蛇足
・昨今よく聞く、アスペルガーというやつについて、
アスペルガーだなと該当する人に、まぁ5人以上にはあってきたと思う。
アスペルガーの人はまず、空気が読めない。みんな該当する。さらに、ネット用語でいうところのクソリプを飛ばすというかギャグを完全にマジレスで潰してくるというか、、、
それは、アスペの特徴なんだけど、まぁ空気を読めなくても、言葉を文字通り受け取りギャグを潰されてもいいんだけど、
たぶん、一番問題なのは、話を聞かないことだ。程度の軽い?あるいは、自覚があり改善しようと努力している人はいくらか議論ができたし、話を聞くということができた。問題は小さい。でも、まぁひどい症状というかそういう人はみんな全く人のはなしを聞かなかった。本当に全くだ。会話が成り立たない。キャッチボールが全然成り立たない。
自分もいくらか、本当に症状が軽いそのような傾向があるから、なんていうか言葉は悪いけど同情でそのようなアスペの人の話を自分が聞いたりするんだけど、そんなおれでも、かなり苦手意識が高い(得意な人なんていないんだろうけど)。
実際、そのようなアスペの人はほぼ必ず嫌われている感じだ。まぁ自分の付き合いがあるコミュニティーはみんないい人ばっかりだから、嫌うというのはちょっと違っていて、飲み会とかだとその場から逃げるという感じだ。さらによく知られた通りアスペの人は何か興味がある対象にはそのことにハマる傾向があるから、がっつりこっちが知らない話題をおいてきぼりにしてずっと話し続ける。
すごい才能があって他人の話しを聞く必要がないレベルの人は問題ないけど、だいたいのアスペの人はそうではない。だから、大変だよなぁって。
プログラマーの人たちの話を聞いて
最近、自分はrailsを勉強している。さすがに、自分もほどほどの年齢だし、適当に生きるといってもあまりに微妙なことはしたくない。その点プログラムのスキルを身につけることは非常にメリットが多いように感じられた。
1.なくならない仕事
某人がよくいっていたことだが、英語とプログラムのスキルを身につければ、まず、くいっぱぐれがない。
最近よく話題なように、自分の仕事がロボットやプログラムに置き換えられて、なくなるんじゃないかということだが、当然ながらプログラムで動くのでプログラムを作る人はなくならない。したがって、プログラムの需要が単純にあることがわかる。
さらに、英語を身につけておけば、日本内に縛られることもないので、日本というものに嫌気がさしたら、他の国で仕事をすればいい。
2.働く場所に縛られない。リモートワーク可能
プログラマーはある程度、知識を身につけてしまえば、リモートが可能な仕事である。実際、そのような人が多数いる。東京だと当然ながら、人が多く、仕事場にいくのは、だるいはずだ。それから避けることができるのは大きい。
なんなら、海外にいながら、日本の仕事を受けるだとか、日本にいながら外国の仕事をうけるだとか、そのような働きかたが可能。
3.転職が容易
他の業種では、あまり聞かない転職だが、こっちだとはっきり言ってとても多い。というか普通のことだ。高校大学時代の友人で転職している人は、2割くらいの印象といったところだけど、
私の周りにいるプログラマーのかたで転職した経験がない人は、むしろ1割くらいだ。スキルがあればどんどん転職するし、フリーになる人も多い。
4.対人スキルが重要な仕事ではない。
例えば、営業のような職業があると思うが、当然マニュアル的な契約の定石やスキル/知識もあるだろう。けど、やっぱり人間相手なんで、そんなにマニュアルでいけないだろう(と思うんだけど)。
もちろん、仕事となれば、プログラムを書く以外にそりゃ連絡やその他のコミュニケーションもあるかと思うので、対人スキルがゼロでいいわけがないが。
5.fuckin'ルーティンワークを改善できる
たぶん、仕事だと微妙なルーティンワークがあるはずだが、改善することが、可能だ。というか、プログラマーやITの思想上だるいものを無くそうという方針でやっている人が多いかと思うのだが、だるいルーティンワークはプログラムで改善するができる。
他では改善できないというわけではないが、いくらか障害が多いことだろう。
6.仕事にするまでのスキル・知識の量がそこまででもない。
ぜんぜん、違う分野だった人がスタートできる。それも3ー6ヶ月くらい勉強すれば、可能だという印象だ。別に工学部の情報学科を出る必要はない。
スキルが必要な仕事である割には、スタートにかける時間は少ないと思うのだがどうだろうか。
したがって、プログラミングスキルというのは専門性がそこまで高くない、汎用性があると言える。
7.力仕事じゃない。
自分は体力がないので力仕事は無理です。
*デメリット*
・場合によってはというかリリース前は激務。いわゆる炎上してしまったりして、すごく大変な時期がある。
***
かなりいいと思える仕事であるが、残念ながら向き不向きがあるようだ。
ある程度、自分で熱心に勉強というか知識をつけようとすることができる人でなければならない。
実際、そこにたまたま居合わせたプログラマーのかたに聞いたが、割とノースキルからプログラムの仕事に挑戦し、生き残った人は1割程度ということらしい。
***
大学時代の友人に会うと、全員とまで言わないが、7割以上が仕事がクソだといっているし、そこでのやりがいみたいなものを感じるというような印象で仕事の話をする人はいない。
一方で、プログラマーの人は勉強熱心だし、そりゃ見てて大変な時期なんだなとかはあるけど、大学時代の友人の例でいっていたような、仕事がクソだという印象とは大きく違っていると感じる。
ここまで、書いてあれだけど、ただ、身の回りにたまたま満足のいく仕事をしている人が多いだけかもしれない。
よく聞くようにプログラマーでもSI系は、微妙だということしか聞かない。
プログラマーという仕事がいいんじゃなくて、たまたま周りの人の環境がいいだけなのかもしれないので、注意です。
シェアハウスに住んで、一年経過!日記
相当、うちわな話。きもい文体。
**シェアハウスで仕事をゲットできる説!?**
おれは仕事をしていなかった。適当なバイトをしたり、カテキョをしたりで食いつないでいたが、さすがにお金がなかった。そんな中、id:tokisaba
さんにあった。ゆるのみ参加つながりから、ちょっとだけお仕事の手伝いをしたら、どういうわけか適当にフラフラしていた自分に声をかけられた。もうちょっと働かないか的なことを。
当時、どうして声をかけられたのかはわからないが、まぁなんか仕事をしないかって声をかけられたのはとてもとても嬉しかった。(本当に救われたという言葉が適切で、感謝しきれないというか)
仕事ってのは、なんていうか探すもんだと、バイトならバイトの応募を店の前で見つけて、電話するとか。会社の就職なんかは、もっと大げさというか、、、ある意味では不自然というか。
それに対し、直接に声をかけてもらった事にすごく新鮮さを感じた。たぶん、むしろ古い時代では普通だったことなのだろうけど。
いまの話は、おれ自身に起こったたまたまなことだけど、、、
人づての仕事の紹介はよくある。コミュニティに属するってことは強いね。
人づての紹介だから安心だし、とても。
**
まぁ、直接仕事の紹介じゃなくても、仕事の話がいっぱい聞けるって話ですがー
現在シェアハウスに住んでいるひとの9割?くらいは働いて、(まぁ少しニート的なかたもいるんだけど)
すごく情報が共有できるんだ。たぶん、会社の実情とかってのは、就活中にはなかなか聞けない。聞けたとしてもある程度建前をくんだものなることが多い。
それに対し、シェアハウスの住民から直接聞くことができるわけだけど、やっぱりいっしょに住んでいる人から聞けるような話だからベリーホットな内容のものが聞ける。そうその情報っていうのは、これだけネットにそれこそブログとかに、会社のこととか仕事の内容とか書かれているんだけど、そこでの内容よりやっぱり新鮮だし、ナマなんだ。(ネットには書かれていないか、完全にクローズドなはずだ)
これだけ、自分は会社では働きたくないと思っていたけど、全然、印象違うというか、そういう感じなら働いてもぜんぜんいいんじゃないかとかそういうものがあることも分かったよ。
**
仕事じゃないけど、趣味でまぁちょっとしたフィギュアをシェアハウスの住人と作ったりして、初めてそういうイベントでサークル(ディーラー)参加したんだ。それはぜったい一人じゃできないことだったし、シェアハウスだからできたというか、偶然というか本当素晴らしいことだ(テーブルの向こう側に行けたんだ)。去年の一番の思い出だね。スプラトゥーンと共に。
**コミュ症について**
前にこのブログでも書いたのだけど、おれはライトなコミュ症だと言ってきた。確かにガチではない。それはそうなんだけど。例えば、
・体育会系的な上下関係,年齢関係をがとても苦手。
・大きい声で怒鳴られたりとか、なんかきつく言われたりが異常に自分の中で残ってしまう。(非常に悪くきつく言ってしまえば、ドキュンとの対応が苦手なんだ)
上の2点のようなことで”自分の中で”トラブルが起きるともうその人とはコミュニケーションしたくないって思うし、実際そうしてきた。
ギークハウス周りで、自分が”ライトな”コミュ症だと言うと、みんなに否定された。実際のところ、確かに思い返すとコミュニケーションがうまくいかなかったことがない。
その理由は、なんなのだろうか。単純に、プログラム関係の話が通じるためなのか。
一つ前に書いたように、シェアハウスであまり年齢がどうとかは気にする必要がないように感じる。それが自分が思うには、いっしょに住むのに例えば、なんか掃除とかを年齢が低い人がやるとか、そんなことがあったらシェアハウスなんてやっていけないだろうし、住人の入れ替わりが多いこともよく影響していると思うし、海外経験がある人が多いことも関係あるだろう。余談だけど、8割以上の人が海外で数ヶ月とか数年とか住んでいたことがあって、みんな英語が(それぞれレベルがあるが)しゃべれたりしてすごいんだ。
**所属欲求**
所属欲求について、シロクマ先生の記事を参考にするといいのだけれど
シェアハウスに住むことで所属欲求が満たせます。もちろん、シェアハウスだからこそのトラブルや不自由な思いもそりゃあるとは思うんだけど。
精神安定すると思う。最近は、つらいこと自体あんまないけど、仮にダメージを負っても復帰もいくらか早いんじゃないかな。
**情強がさらに情強に**
ギークとかいうだけあって、まぁたぶん多少なりとも情強なんだ。けど、さすがに、あらゆる情報を一人で網羅するのはなかなか難しい。けど、どんどん強い人同士で、情報共有してさらに強くなっていく感覚あるんだよね。
**共有する時間が長いこと**
なぜあの人はあんなわけのわからない主張をいうのか - ふらふらと生きる。
っていうのを過去に記事で書いたけど、訳のわからない主張は置いておいて、その人が考えていることとかって、なかなかわからないと思うし、その人がどういう人かって、やっぱりすごいたくさんの時間話ししてわかると思うんだ。
シェアハウスに住んでいるとそれが、自然にできていい。ある人が、とても面白い話を持っているのにぜんぜん話をしないんだよな。それは、その話がマニアックだったりでそりゃー初対面の人にはしないってな内容のことなんだけど。
それを引き出したいんだ。それを引き出すまでに2時間で引っぱれるかもしれないし、20時間ぐらい時間を共にしないといけないかもしれない。
面白いはなしを引っ張りたいんだ。
それが、シェアハウスなら自然にできる(ことが多い)。
**蛇足**
人脈って言葉があまり好きじゃなくて、そう人脈って言葉はどこか自分の利益につなげたいっていうなんかいやらしさが、言葉にある印象を自分は持っている。
確かに自分はいろいろな人と交流したいと思ってシェアハウスに住んだのだけど、
仕事するようになったとか、その他、本当に偶然で、なんか成り行きなんだよね。
それが、面白いところでポイントなんだ。
とりあえず、書きたいことを書いた気がする。ありがとう!
8/25日記、シェアハウスに住んで
日記、シェアハウスに住んで
注:こちらは、昨年8/25に編集中のまま未公開だったものを加筆修正したものです。
私は去年の4月よりシェアハウスに住んでいる。
シェアハウスに住んで5か月がたった。
一部では有名かもしれない。ギークハウスだ。
そこで、まず、シェアハウスに住むにあたって考えたこと。
また、住んで5ヶ月たった感想を述べる。
*第一話、シェアハウスを選んだ動機*
私は例えばぜんぜん知らないコミュニティに積極的に参加するのは苦手だ。たまに友人でも何かしらのイベントに参加しているのか、とにかく知り合いが多い人を知っている。SNSなどでもすぐになんかうまくやりとりしている人とかもいる。
前からよく友人と話していたことだが、(学校ではなく)社会人で趣味の合う友達を探したいと思っていた。仕事先で気の合う仲間を見つけるもいいかもしれないが、仕事先ではないものを考えたかった。
ここでスポーツなんかはうってつけかもしれないが、なんせ私はほとんどスポーツはできない。
趣味(アニメや音楽など)でネットで見つけたサークルなどに顔出してみるのもいいかもしれないが、なかなか適当なのが見つからないし、勇気もない。
また、例えば一人で飲みにいって気の合うやつを見つけるのもすぐに思いつく案だが、私はお酒が苦手だ。
*シェアハウスを選んだ経緯2点*
・友人を探す。(彼女ではない!)人間関係を増やす。
・ひとりで充実することを避ける
住む場所を探す上でまずみる家賃や住む場所はもちろん考慮したがそこまで第一にこなかった。シェアハウスを住むうえでやっぱり家賃が安いからという理由の人も多い。私は住む場所はどっちでもよかったので、一人暮らし家賃がもっと安いところはいくらでもあった。
ひとりで充実することを避けることについては、一人さびしいとかひとりでつまんないっていうことは全くないわけではない。一週間レジの店員とだけの会話なんてのもあるあるなので、たしかに誰かと話したいっていうのはあった。
だが、それよりもっと大きいのは、どちらかというひとりで一日ネットサーフィンして過ごすとかブログ読んで過ごすとか、アニメ見て過ごすとか、それはもう充実していいやー素晴らしい1日を過ごしたなぁと思う一方で、果たしてこれでいいのだろうかというのはないわけではなかった。大学のときはそういう過ごし方はいくらでもあったが、友人と話す機会もそれはそれで少なくなかった。ただ、東京来て適当に働いたりしてからの一人暮らしの過ごし方は少々それがひどかったように思っていた。
**第2話、シェアハウスに住むことについて**
一緒に暮らすというのは、まぁとにかく何かしらでコミュニケーションをとるし、話す機会も多い。
今回よかった要因は、ギークというパソコン関係に興味があるという集まりだったからは大きい。逆にぜんぜん違うコミュニティだったらきつかった可能性はある。
シェアハウスは大学のころの研究室のように感じることもあるし、サークルのように感じるときもある。いっしょにいる時間が長いから研究室の方が近いか。
とにかくいる時間が長いから自然とコミュニケーションはとれるようになるはず。
いろいろなシェアハウスにいたことがないから分らないが、基本上下関係とか誰それが偉いみたいなのはないように感じている。それが私にとっては極めて重要であり、非常に今のところいい感じだなぁと思っている点である。
(注:いろいろな人にシェアハウスについて聞いたがやはり住む人で決まる部分はあるようだ。やばい人がいると一気にハウス全体の雰囲気が…みたいになる場合があるとも聞く)
あとは、思い出です!
**シェアハウスでの個人的な思い出**
よかったことは、いっぱいある。もちろん、住居人との話についてだが、
1.就活中の大学生といっしょにSPI対策のためにいっしょに数学を勉強した。さらに、お礼で自分の当時、カテキョをやっていてそのへんのアピールのやり方をいっしょに考えたり、ポスターみたいのを作ったりした。そのキャッチコピーを1000円でクラウドソーシングに投げたりしたことは、すごくいい思い出。
2.プログラムの仕事がいるので、影響を受けてphpを勉強。てきとうに、twitter botを作成!初めてのphp、bot作成も住居人がphp面白いよ〜言わなかったらやらなかっただろう。教えてもらったわけではないが、いい影響をもらった。
3.なんといってもこれが、一番の思い出なのであるが、
いっしょにスプラトゥーンをやったことだ。自分がwiiUをソフトの発売日の2日後の深夜あたりにいてもたってもいられず、近くのGEOに買いに行った!
そして、やはり、住居人がどんどんはまりだした。交代で順番にコントローラーを渡しながらやったのは、小学校以来という感じがしてちょーよかった。
しかも、住人がはまりにはまって、wiiuをもう一台買ってきた。あのときは、まじでびっくりしたよ。
そして、イベントのときだ。スプラトゥーンは今では同じチームでゲームができるがその当時はできなかった。イベントでは再戦するとチームが変わらない。同じチームになりたかった。そこで、安易だがいっしょのタイミングでオンラインのマッチングにボタンを押す。そう、何回か試したのち、同じチームになったのだ。あのときのテンションの上がりよう。ここ数年で、本当になんていうか純粋に楽しめたよ。そう、中学生以来だ。もちろん、朝までずっとやった。ほんとばかだけど、こんなゲームが楽しいだなんて
他人に年齢を聞くのをしないようにしたい。
先輩後輩関係がいやだと書いたことがある。
いきなりマンガの話をするが
スラムダンクが面白くないとは思わなかったが、いまいち他の人が言うほど盛り上がれなかった。
最近、ひとのオススメで、弱虫ペダルを読んでみたが同じような感じだ。
要するに、先輩関係や体育会系のノリの描写がたくさんあるわけではないが、そもそも文科系の人間であり、いわゆる体育会系のノリがきらいで、少しでもそのようなものを想起させると、嫌な気分は言い過ぎだとしてもその部分が私をマンガの世界に没頭するのを拒んだように思う。
(バキはいける。)
***
とにかく上下関係が嫌だ。年齢が上だからって失礼だとか、敬語使わなくちゃいけないとか、使わないと失礼だとか。正直きつい。
なぜ年齢が上だというだけで、敬わなくてはいけないのか、対等な関係でいいではないか。どこがダメなのだろう?
知らない人と話すとき私は丁寧語で話す。仲が良くなってきたら、ややくだけた調子の言葉使いになったりもする。それで何か問題あるだろうか。
私はそうやって敬語が飛んだりして指摘されたりするのを極度にイヤがって、私のとった手段は年齢の上の人とは付き合わないだった。
(そのせいか今まで、部活・サークルで"後輩"とは、いくらかいい関係が築けたと思っている。先輩というか年齢が上の人でいい関係が築けたという人は一人しかいないかもしれない。)
*年齢について*
私は外国に行ったことがないが、年齢を聞かれたことが一度もないと大学の教授は言っていた。実は日本というのは相当年齢を気にする国で、たぶん他の国を知っている人は明らかな違いを感じるのだろう。(ググると、そのようなことが書いてある記事はある。)
実際、日本は年齢差別も多い。
そんな私も、敬語がどうとか先輩後輩関係がいやだと書きながら、年齢はよく気にしてしまうし、実際、会話の中でさらっと年齢を聞いたりすることもしていたと思う。(それは、もし自分より年上を恐れての防御でもあるのだが)
以上を踏まえて、私は出来るかぎり、年齢を尋ねたりしないようにしようと思う。
プライベートな空間とそうでない空間でのエネルギーの非常に大きなギャップ、あるいは生活についての悩み。
(いつも通り自分のことについてです。)
「家でできること」
という記事を半年前くらいに書いた。他にも
「大学時代毎日10時間以上勉強していた俺がモチベについて書く - ふらふらと生きる。」
という記事も書いた。ここにも書いてあるが、
自分の部屋というか家で何かしら作業が進まないのは、緊張感というキーワードで説明できる。簡単に言えば緊張感がないからだらけてしまう。対照的に、例えば、図書館でもいいし、カフェでもいいし、今ならコワークスペースとかでもいいし、そういうところなら他人と共有したスペースでいくらか緊張感が保たれる。大げさに言うなら他人の目が監視の目ということになる。それで作業が進むということだろう。
*プライベートな空間と外とのギャップ*
いろいろ観測するなかで感じることは、私は家でのエネルギーと外でのエネルギーのギャップが非常に大きいことだ。
まぁいつも例にとる勉強の話で悪いが、多くの人も確かに自分の部屋でやるより、図書館なり、喫茶店なりでやるほうがはかどるよねーとは言う。家だと1-2時間程度しかできないものが、図書館にいくと2-3時間はできる。(と聞く)
確かにはかどるけど、まぁ家での延長という感じが私にはする。まぁ実際はどうなのだろうか、いろんな人のデータを収集したいところだ。
今度は私の場合だが、家での勉強時間はゼロだ。完全にできない。異常に調子がいいときに少しできるかできないかだ。一方で図書館にいくと、はっきりいって一日中、時間が許す限り可能だ。この異常なギャップが私を悩ませてきた。
あれだけ家では体が重かったのに、図書館に行くとエネルギーがあふれ出てくるという感じに私はなるのだ。
私の周りでこのようなことを言う人に会ったことがない。だから、他にもこのような人がいないか私はとても気になるのです。
自分のプライベートな空間での体の重さすさまじくは、本当にやる気ゼロで、例えば座ってアニメも見れない。ネットもできない。ただし、寝ながらはできる。だから、昔はノートPCを横に置いてネットしていたし、今ではそれがスマホに置き換わった。他にも、ハミガキなどできない。料理はできる。あまりに腹が減ると、ハラヘリから食事で得られるだろう快感を脳は知っているので、その快感を求める欲求が体の重さに打ち勝つからだ。私はハミガキをしないのはヤバイので、食事を作る前とか料理中とかにハミガキをすればいいということになってそれを実行している。ごはん食べ終わって1分後位からまた体が重くなるので、食事後すぐあとにハミガキを期待しても成功率は極めて低い。あと、掃除もできません。
*寝ながらできるものならけっこうなんでもできて、例えばブログを書くのもできる。
まぁこんな感じなのだ。
***
悩ませてきたと書いたが、勉強など明らかに図書館でやることが可能なものならいいが、中には(例えば音楽とか)家でやるしかないものもあり、なんで家だとできないんだと悩ませてきた。
私も強情というか諦めがとてもとても悪いので、なにかどうにかすれば、家でできるんじゃないかと思い、本当に幾度となく試行錯誤をしてきた。結果ダメだった。
私は考え方を変えて、どうにか音楽とかもすべてノートパソコンひとつでできる音楽を作るとかそういう方向に考えを変更させてきた。*1
もはや自分の部屋で作業なんてできなくてもいいというのは、前のときの結論で別にそれについては別に今気にしているわけではないが、今回記事を書いたのはギャップについて考えてみたということだ。
ライフハックとかはてなブログでもフリーの人が自宅で仕事を効率よくやるためにみたいな記事がよくでる。それを読んで、私は努力が足りなんじゃないか、精神が弱いとか、などなど。そういう意味で自分を責めるというか、落ち込むというか、そういうのを繰り返してきた。けどそういうので落ち込んだりするのはあまり意味がなく、何が言いたいかというと、結論は私は他の人と何かが違うということだった。普通は他人の感覚と自分の感覚は同じという勝手な思いから入るような気がする。が、長い観測を繰り返し私は多分何かが他の多くの人とは違うということだったのだ。
(何度も言うが「私はハミガキができないんです」という人に会ったことがない。)
*勿論、だいぶ昔から図書館で勉強するときとかに、自分はスロースターターだけど、集中が長く続くなぁってことは意識していた(これを過集中と言ったりするらしい。最近知った)。しかし、それはあくまで勉強についてだけでに焦点を当てて考えていて、単に自分は勉強が得意だとかそんなふうに思っていた。家と外でのギャップなど十分に考慮していなかった。家だと普通のことすらできないとかそういうことを十分評価していなかった。
***
今回の記事で、私と同じようにこのようなギャップでもし悩んでいるひと。家だと掃除ができないとかベットの上から移動できないとか、テレビを座ってみることができないとかハミガキができないとかとか。そのような人がヘンに悩む時間は、あまり有効ではないと伝えたい。ヘンに悩んだとしてもただ、自分が惨めに思えるだけかと思う。
じゃあ具体的にどう解決するかは難しい問題だが、別に一日中ベッドにいてもいいじゃないかとか、やるべきことは何がなんでも外出してやるとか。掃除についてはちらかっていてもいいじゃないかとか。
*余談1*
ちなみに、少なくとも高校時代にはこのような自分の性格というか現象は始まっていた。 それで、家族から部屋が汚いときつく言われるわけだが、どういうわけか掃除ができなかった(私のようなこどもを育てる親もアンラッキーだが、言われるのは非常に辛かった)。親と住んでいたのは高校までだが、掃除ができない事実は10年たっても変わらない。私に掃除をしろと言っても有効ではない。大学時代も私の部屋は汚いと有名だった。ちなみに、他人の部屋は掃除できます。
たぶん多くのひとにとっては私は何をふざけたことを言っているのだろうと思われるかもしれない。それは正常で素晴らしいことだ。嫌味とかではない。むしろ問題はわかるわかるってなってしまう人だ。
*余談2*
ハミガキについてはかなり悩んでいて、実際虫歯にもなった。親からは歯の大切さの認識不足かつハミガキの重要性の認識不足からハミガキできないと思われていて、それについてかなり言われて自分もつらかったけど、勿論認識不足なわけないし、それをいくら認識したところでハミガキできるようには私はならなかった。どうすればいいかは本当に悩んだけど、非常に有効な解決というのはまだみていない。今も必ずしも安定できているわけではない。
*余談3*
(私のことの話はとはぜんぜん関係ないが、)私とは全く逆に家だと勉強とかいろいろできるけど、図書館だと全くできないという人がいくらかいるようだ。それは他人の目が気になるとかで、そういう人は仕事がなかなかできなくて苦労すると聞く。実は、私のようなタイプとは逆のこっちのタイプで悩んでいる人の方が多いと聞く。