英才教育、教師と反面教師
自分はいろいろあり教育というのに大変興味があります。
*英才教育*
親が医者だったりして、医者になるように育てるというのがある。
スポーツとかでも今じゃ子供のころから英才教育といったかたちでガツガツやらせないとプロにはなれない風潮がある。というか、活躍しているひとの年齢がとにかく若い。
もちろん、本人が楽しんでやれているのなら、素晴らしいことだ。
一方で、想像するにスポーツだろうが、勉強だろうが、なんでもいいが、教え込まれたがいまいち振るわなかったひともいる。というか、圧倒的にそのような人数の方が多いだろう。もちろん、その人の情報は世にはでない。
その人たちはツラい思いをしているのではないかと心配している。
また、たとえうまく医者になれたとしても他の道があったんじゃないかとか。私はそういうことを考えてしまう。高校時代、親が医者で当然のように自分も医者になりますみたいな人は多く、私としては強い違和感を覚えた。
このへんを深く考え出すと、教育とはなんぞや、自由意志とはなんぞや。となる。親は選べないし、生まれる場所も選べない。言っても仕方がないことなのは分かっている。
中学くらいならともかく、高校くらいになったら自分の道を選べる(?)し、(今の日本なら)自分でいろいろな情報をえて考えることができるとは思うから、まぁいいのだろう、、、
*教育の難しさ*
自分の親はどちらかといえば厳しい感じの親だった。
だが、自我芽生えた?高校生のころから、親の意見にはことごとく反抗し、今でも反抗している(反抗期はアイデンティティの獲得なんだって思っていた)。言っていることが1から10まで、おかしいと思ったし、今でも、理解はあるが意見が対立している。
しかし、皮肉っぽく言えば、親は私にとって素晴らしい反面教師となってしまった。
つらいことはいっぱいあったし、今でもつらい。私に対する親の発言は、どちらかといえば、普通だ。しかしながら、私はあまり普通の人じゃなかった。だから、うまくいかない。
とにかく、親の教育・愛情は、ことごとく裏目に出てしまったのだ。親は要するに過干渉だったといえばわかりやすいかもしれない。
だから、私は簡単に言えば、放任主義をとってほしかった。
しかし、放任主義をとっていたら、今の私のようにはならなかったような気もする。そんなことを考えても仕方がないのだが、
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一番分かりやすい例だと、勉強しろという言葉だ。勉強しろっていうのは、確かにその人の将来のことを考えれば、まぁ現状、いわゆる正論というやつだ。
しかしながら、少なくとも私のようなやつには、全く逆効果だった。
このへんが極めて難しいとこで、どの程度積極的に関わるのがいいのか。中学のとき、けっこうあれてるクラスだったが、思い出してみても、先生がクソだったわけじゃなく、むしろどちらかというか真面目でいい先生だったのだろうと思うが、やはり、裏目にでていた感じがする。愛情・教育の難しさだ。
*とあるひとの話*
ちょうど最近読んでいたブロガーで
「なぜ」わたしはサークラになったのか:動機編 - あの子のことも嫌いです
というのを読んだ。要するに、私はこのような人の親について考えてほしいのだ。
まぁこの親さすがにクレイジーだ。ちょっと例は、極端であるが素晴らしい例だ。
親は、子に対し嫌がらせで、稽古事・勉強をさせるわけではない。もちろん愛情だ。しかし、ちょっとこの人の親はバランス感覚を失いすぎていたようである。
このような教育でこの母親が理想とした子供に育つことも場合によっては、あったかもしれない。そんなことは分からない。
とにかくこの教育により、サークラというモンスターを生み出すことに成功してしまった。どうしても皮肉になるが、私がこの人のブログを読んで楽しませてもらってるのは、母親の教育のたまものといえてしまう。
この人がさらに活躍し、強い自尊心が生まれたら、母親には屈折した尊敬の念があらわれるかもしれない。
*まとめ*
私は自分の過去から、英才教育みたいなものは私はしないし基本的にネガティブな立場だ。だからといって、英才教育が絶対に悪いとかはもちろん言うことができない。また、逆に放任主義いいかというとそれもまた、場合によりけりとなる。どちらかといえば、世の中の人は積極的に教育することがいいと考えていると思う。(たぶん、放任主義の方がキケンだ。)もちろんそれでいい。人それぞれの価値観でやるしかない。
だが、上のブロガーの例など、これでよかったというのは、あまりにうがった見方だろう。非健康的すぎる。バランスを見失ってはいけないとは思う。それでも、主義・思想のもとに(例えば、芸術至上主義のような)過激な教育をするというのなら、何もいえない。虐待とかではなければ(ブロガーの人の少なくとも過激なダイエットはおかしい。親も知識がなさすぎた。)、非難はできない。教師となるか反面教師となるかは、分からないし、教育は結果論的なところが強い。
*ちなみに*
ここでの芸術至上主義とは、芥川竜之介の『地獄変』のような世界観である。
私は努力という言葉嫌いだし、勉強は本来、苦行じゃないのだ。勉強についても少し書きたいが、話がそれるので、後日まとめたい。