ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

コミュ障と会社・自営業、他

ここでいうコミュ障は、一般的にいわれるコミュ障よりやや広い意味で、意思疎通のうまくないという意味で使われるコミュ障を超えて、とにかく人間関係でトラブルを抱えやすい人も含まれるとする。

 

 

*会社*

 

いまある多くの一般的な会社では、コミュ能力はあると非常に有利で、また、コミュ能力を低いと、なかなかつらいようだ。

(いろいろな人のブログを読んでいてもそうだと思える。)

 

雇う・雇われるという関係も働く意味で、仕事の大変さは別にして、やりがいなどでも、働くことについての心理的なことがよく、話題にだされる。

 

*自営業*

 

日本のおいては、自営業(個人事業主)が明らかに年々少なくなってきている。戦後では、50%以上あった自営業は、ここ数年10%を割る勢い。(参考→ 日本の雇用史 - Wikipedia

 

□自営業者の数の推移

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○なぜ、自営業が減ってきたか?

(”~屋”と名前がつくものはかなり少なくなったよね。)

まず、モノづくり(食べ物も含む)では、人間が作っていた(やっていた)ものが機械に置き換わった。(第一次産業なども)

ということがあるが、さらに

 

洗練された企業のノウハウに個人が勝てない。

 

コンビニの台頭によってつぶれた業種は数しれないと思うし、ショッピングセンター(イオンのようなロードサイト型、大型百貨店)が、地元の小売を駆逐しているとか、郊外だと焼畑商業とか言われる。

フランチャイズは個人事業主と企業とのあいのこのようなものだが、フランチャイズもまた問題を抱えている) 

書かないが、当然昨今のITも関係ある。ご存知の通りである。

 

***

 

自営業というのは、心理的面(やりがいなど)で明らかに良いと思われる。

業種にもよるが、自営業はコミュ障の受け入れ先にもなっていたとも(勝手に)私は考えている。

 

ちなみにというかもちろん、(会社で働くより)自営業は非常にやりがいがあると思って今飛び込んでも、上述の通り洗練された企業のノウハウと戦う必要があるので。

 

鬱病に関連して*

 

 うつ病の患者数はずっと増加している。

また、新型うつといれるものあるし、働くことのストレスによる予備軍程度のもの、とにかく神経の消耗、も増加していると思われる。

 

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増加している原因・うつ病の根本的な原因というのはよく分かっていない。

(幸福度の話とも関係があるが、)うつ病のひとつの原因として、経済的な不平等の感覚、要するに経済格差によるもの、があるといわれている。幸福度というのは絶対的にではなく、相対的に決まるということである。

 

ちなみに、経済格差については、昨今特に言われるようになったが、格差という意味では、例えば70年代とかも実はあったと考えている。しかしながら、高度経済成時においては、差があるつまり相対的に貧乏ながら、収入自体は増加していたであろう。そのハッピーな気持ちが、差に関する思いを見えなくしていたと考えている。

 

対照的に、非正規雇用は収入の増加は絶望的である。

 

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***

 

話がやや脇にそれたようだが、コミュに話を戻そう。読み物をひとつ紹介。

テキパキしてない人、愛想も要領も悪い人はどこへ行ったの? - シロクマの屑籠

このシロクマ先生の話はどの程度正しいかどうかは、私には分からない。もちろん私は昔に生きていないし、シロクマ先生の現実の観測の範囲がどの程度かもよくわからない。が、非常に気になる話である。

 

コミュニケーションというのは、テクニカルな部分もあるが、性格という部分もある。私は、性格(あるいはライフスタイル・考え方など)が、どの程度変わったりするのかということについてもよく思索している。

私は、少なくとも(短い期間で)大きく変わる、ひとが違ったように変わるというのは、否定的だ。

コミュに関してものすごく努力を積み重ねているひとがいる一方、言わば自然にできているひともいる。努力をしていると書いたが、無理をしていたりしないだろうか。自然にできる人と比べてどの程度神経をすり減らすのだろうか。

 

例えば、

いくらか前からアドラー心理学という本が流行っている。中身は、コミュニケーションや生き方に対する考え・心理分析が中心となっているが、詳しい内容はググっていただきたい。

ほんの触りとしては、

”嫌われるかどうかは、(実は)あなたが(勝手に)決めていることである。したがって、他人のことなど関係ない(他人がどのように考えているかは知りようがない)。”

といったことである。(違ったら申し訳ない)

 

程度にもよるが、コミュに問題のあるひとが、この本を読んで本当に大きな変化があるか、私は疑問だと思っている。ようするに、私はこの本読んでも気休めだったり、あるいは、その本を読んでしばらくたつと、もとに戻るというか、そんなもんじゃないかと。

 

別の言い方をすれば、この本を読んでもどうにもならなかったような人が問題だといえばいいかもしれない。

 

 

 *まとめ*

時代の変化で仕事の選択肢がほとんど会社しかないなか、コミュ障のひとはなかなかつらい。

仕事つらいというひとは、仕事自体が大変か、人間関係でごにょごにょあるか、あるいはその両方だ。

ミスリーディングな書き方をしてしまっているが、別にうつ病とコミュ障とは直接は関係ない。

しかしながら、うつ病の増加をみるにつけて、

「コミュに問題あるひとの会社でのつらさ→うつ病へ」のながれを想起してしまう。

 少なくともアドラー心理学なんて本が注目されていることから、会社での人間関係というのに、みんな疲弊しているとみるのは、的はずれじゃないだろう。