ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

大学での勉強について、無駄について

(概ね自分語りです)

 

大学生よ授業を捨てろ、社会人に会いに行こう - xevra's blog

の中の”大学で学んだことの90〜95%は無駄”だというこの主張が気になった。 

 

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私は、もともと思想的に無駄が好きだった。

ひねくれているからだと思うが、全くもって無駄な

芸術が好きだし、音楽が好きだし、アニメや漫画が好きだし、ゲームも好きだった。

衣食住に比べたら全く価値がない。実際、学生の頃は暇だからか理由はよくわからないが、音楽だったり、漫画とかに興味があったりしても、働きだすと忙しかったりしてだんだん、そのようなカルチャーに対するリソースを割く割合が少なくなる。さらに結婚して子供まで生まれれば、もっとその割合は薄くなりそうだ。

 

*大学では物理を勉強した*

大学も物理を選んだのは、高校の時に先生から物理学科どうですかって聞いたら就職にはあんまり役に立たないかなぁと言われたので、よしと思った。

そして、物理もさらに物理の専門分野の選択になったときに、一番世の中に使えなさそうな素粒子論を選んだ。

実際学んでみて、素粒子論はやっぱりまるで世の中の役に立たない世界だった。

 

 

*物理を学んだ思い出*

けっこう自分は大学時代、物理にはまった。厳密には物理を勉強することにはまっただけかもしれない。

相当やったし、アカデミックに進もうとも思った時期もあり、それ相応の量をやってた時期もある。

けどなんだかんだで、アカデミックには進まなかった。

そういう意味でたぶん物理に捧げたリソース、1万時間以上だろうか。それは無駄だったと言える。

だけど、私はそれでも満足している。

そこで、学んだ思考力あるいはその思考の方法というものだろうか。それはいまでもはっきりと自分の中で生きている。

物理も意外と今の自分の周りには興味がある人がいて、雑談のネタぐらいにはなっている。

30歳で初めての就活をしている。プログラマーになろうと思っているが、全く役に立ってないわけではない。が、大学でプログラムやった人の利用率に比べたら、それは比べものにならない。

その意味で効率が悪いと言われたら、効率が悪すぎるもいいところだ。

 

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特にこれといって言いたいことはない。

効率的がいい方がいいという思想は現代においてはもっともだし、最初に引用した記事の学業に対しての主張は、書かなかったけど日本の大学の文化にも合っているように思う。

せっかく記事書いたんだからなんかまとめておくとしたら、これだけリソースを無駄にしても、ある程度一生懸命やってたらそれほど困らないというか、後悔はぜんぜんないってことかなぁ。