大学での勉強について、無駄について
(概ね自分語りです)
大学生よ授業を捨てろ、社会人に会いに行こう - xevra's blog
の中の”大学で学んだことの90〜95%は無駄”だというこの主張が気になった。
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私は、もともと思想的に無駄が好きだった。
ひねくれているからだと思うが、全くもって無駄な
芸術が好きだし、音楽が好きだし、アニメや漫画が好きだし、ゲームも好きだった。
衣食住に比べたら全く価値がない。実際、学生の頃は暇だからか理由はよくわからないが、音楽だったり、漫画とかに興味があったりしても、働きだすと忙しかったりしてだんだん、そのようなカルチャーに対するリソースを割く割合が少なくなる。さらに結婚して子供まで生まれれば、もっとその割合は薄くなりそうだ。
*大学では物理を勉強した*
大学も物理を選んだのは、高校の時に先生から物理学科どうですかって聞いたら就職にはあんまり役に立たないかなぁと言われたので、よしと思った。
そして、物理もさらに物理の専門分野の選択になったときに、一番世の中に使えなさそうな素粒子論を選んだ。
実際学んでみて、素粒子論はやっぱりまるで世の中の役に立たない世界だった。
*物理を学んだ思い出*
けっこう自分は大学時代、物理にはまった。厳密には物理を勉強することにはまっただけかもしれない。
相当やったし、アカデミックに進もうとも思った時期もあり、それ相応の量をやってた時期もある。
けどなんだかんだで、アカデミックには進まなかった。
そういう意味でたぶん物理に捧げたリソース、1万時間以上だろうか。それは無駄だったと言える。
だけど、私はそれでも満足している。
そこで、学んだ思考力あるいはその思考の方法というものだろうか。それはいまでもはっきりと自分の中で生きている。
物理も意外と今の自分の周りには興味がある人がいて、雑談のネタぐらいにはなっている。
30歳で初めての就活をしている。プログラマーになろうと思っているが、全く役に立ってないわけではない。が、大学でプログラムやった人の利用率に比べたら、それは比べものにならない。
その意味で効率が悪いと言われたら、効率が悪すぎるもいいところだ。
***
特にこれといって言いたいことはない。
効率的がいい方がいいという思想は現代においてはもっともだし、最初に引用した記事の学業に対しての主張は、書かなかったけど日本の大学の文化にも合っているように思う。
せっかく記事書いたんだからなんかまとめておくとしたら、これだけリソースを無駄にしても、ある程度一生懸命やってたらそれほど困らないというか、後悔はぜんぜんないってことかなぁ。
phaさんの持たない幸福論を読んだ。
主張の内容はだいたい前著ニートの歩き方と同じで、より詳しく書かれていたりする部分、付け加えてといった感じだ。家族に関する考えが多かったかな。
特にいいなぁと思った図があったので、覚書き程度に!
***
社会と自分の関係と題されて節があって、
こんな図が載っていった。
実はこの図も
見田宗介の「宮沢賢治」
という本の中のものをphaさんが修正したものらしい。
自分のことばで説明すると、理想的には自分のやりたいことや趣味と合致したもので、社会的に認められればいい。認められるというのは、具体的にはそれによりお金が得られればいい。
その状態が図の(1)にあたる。
が、なかなかそうもいかないので、自分としてはやりたくないが、社会的に認められる、お金がもらえることをやることになる。それが図の(2)にあたる。
やらなきゃいけないことで、ある程度折り合いのつくことだった場合は、うまいこと(1)と(2)を行き来するような感じで、うまく(1)に戻れればいいが、
完全に自分の嫌なことになって(2)が抜けられないような状態になってしまった。
その場合は(3)と(4)を通過するのがよい。
(3)はもはや、社会的にも自分的にもだめな状態で、すごく簡単に言えば仕事をやめて引きこもるような状態だ。
phaさんはこれをいっぺん死ぬと表現している(ほんとに死んではいけない程度にと書いている)。
そんな状態で引きこもっていると、だんだんヒマになり何かしらやりはじめる。そこでやりはじめることは、普通は自分のやりたいことをやるわけで、それが(4)の状態である。
そこで、見失っていた自分の本来のものを取り戻すわけである。
そこで、元気を取り戻しどうにか社会と折り合いつけて、(1)に戻るというわけである。
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長いこと(2)にいることは、精神的にもきつい。そこで消費しきってしまって、(3)の状態に行くと、(3)にいる時間も長く深く落ちてしまうので、
ダメだと思ったら、適度に(1)-(4)のサイクルを通過すればよい。
(phaさん的には旅することがおすすめとのこと)
サイクルを通過して(1)にもどってくると、考え方も変わったりして、前の自分とは違った、言わばバージョンアップした自分がいるはずだ。
そこで見える風景、感じ方は前とは違ってまたどうにかやっていけるだろう。
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自分なりのまとめでした。
日記
20代はだいぶ好きなことをやった。
ニコニコ動画は1000-2000時間見た。
ニコ生も200時間くらいは見た。たぶん。
音楽(やる方)は数百時間はやった。
音楽(聞く方)は途方もない時間費やした。
数学・物理はたぶん1万時間はやった。
漫画1500冊くらい読んだ。1000時間くらいか
アニメも1500話くらい見た。1000時間いかないくらいか
美術館は100回くらいいったか。ゆっくりみるから200時間くらいか
ブログも合計2-300時間くらいは見た。書くのにもだいぶ費やした。
本もたぶん多くは2-300時間くらいは見た。多くないけど小説も読んだ。
適当なネットサーフィンはどれくらいの時間を費やしたのであろうか。
ゲームは1000時間はしたか。
一方、多くのかたは
会社で仕事のスキルを学び、コミュニケーションのスキルを学び、たくさんカネを稼げるようになった。
自分は20代をほとんどカネになるような事はしなかった。
これでよかったと思っている。多少借金しながらでも、自由な時間をとった。
財産は今でも奨学金のマイナスを入れなくてもぎりマイナスのような状況だし、大学時代(学部時代)は正直親のスネをかじるような状況だったし、カネの面では最悪だ。
大学は週1程度のバイトを3年くらいはやったか。大学4年からはやっていない。
大学卒業後の2年間は週3のバイトを半年ちょいと週2のカテキョウを1年ちょいだ。
カネは本当にぜんぜん稼いでこなかった。
運動なんて散歩くらいしかしなかったから、それ以外の時間を完全に趣味的なことに捧げてきた。
それでもよかったと思っている。他人は勧めないけど、よかったと思っている。
大学卒業後の2年間はぜんぜん人との交流がなくて寂しかったけど、その分昨年は十分なほど人との交流があった。
30代はたくさんカネを稼ぎたいとかそういうつもりはあまりないというか、
むしろ、最低限稼いで自由な時間をいっぱい作りたい。
人の話を聞くことについて
人の話をよく聴く人は同性からも異性からも好感度が良くなると私は思う。
逆に言うと人のはなしを聞かない人は、はっきり言うと嫌われたりすると思う。
自分が20代の前半とかは、余裕がなかった、自分の価値観以外のものを許容するということはなかなかできなかったかなと思う。
話していると自然と自分のはなしが多くなった(自慢っぽいはなしも多かった)し、ついつい相手をおいてけぼりにして話してしまうことも多かったかと思う。
その反省もこめて書いてみることにした。
書きたいことは
0.そもそも聞き上手というような相手のはなしを聴く
1.お前は人のはなしを聞かないと言われてきた。
2.相手のはなしを理解する。
蛇足.アスペと言われる人たちへの同情
0.そもそもはなしをきく
”人のはなしを聞く”とググるとどちらかというと、いわゆる”聞き上手になる”みたいなのがでてくるが、聞き上手になることはそれはそれでいいことかと思うが、ここでの記事では、必ずしもそのような趣旨ではない。
だが前提として、人のはなしを聞くというのは、とても人間関係のコミュニケーションの上で重要である。
モテるテクでもある。よく言われるように、相手のはなしを聞くというのは、相手のことが興味があるという証拠であるし、はなしを聞いてあげることで承認欲求を満たすからモテるよってな感じだ。
私の趣味で引用すると、
秋葉原心療内科/モテるマンガ第6回「最初のデートは1時間!」byゆうメンタルクリニック | 秋葉原の心療内科/ゆうメンタルクリニック秋葉原院
にも相手のはなしを聞く重要性が説かれているし、
岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私 サークルクラッシャーの恋愛論 (コア新書) : 鶉 まどか : 本 : Amazon
の著者本人がとったメソッドが、相手の男性(たいていオタク)の趣味に興味を持ってそのはなしを熱心に聞いてあげるだった。(ちなみに、鶉まどかという人は一時期、一週間に3-4人から告られるように男性を仕向けるというほどの承認欲求中毒、コミュケーション中毒という過去を持つひとだ。)
1.人のはなしを聞かないと言われてきた
私はよく10代のころ、親や目上の人から”お前は人の話を聞かない”と言われてきた。私の語彙や会話の考える伝える力が乏しかったせいか、自分は話を聞いていないわけではないと言っても、聞き入ってくれなかった。むしろ、親や目上の人がいっていた人のはなしを聞かないというのは、はっきりいって、”私(親や目上のこと)のいうことをお前は聞かない(ようするに従ってくれない)”という意味であったように感じている。私は話の内容を吟味した上ではっきりと否定をしていたつもりだったし、内容を理解していなかったわけではなかったと今でも思える。
私のこれから使う意味での”人のはなしを聞かない”は、その人のいうことに従えという意味では決してない。”はなし(の内容を理解して)きく”という意味だ。(内容を吟味した上であなたがどう行動するか全く別のはなしである。
2.相手のはなしを理解する
自分は男性だが、モテるための会話術というのでは今回はぜんぜんなく、
どちらかというと議論に近い場合においてのはなしだ。
過去に私が書いた記事で
なぜあの人はあんなわけのわからない主張をいうのか - ふらふらと生きる。
というのがあるが、
極端なことを言うと、全く自分の逆の意見を相手が提示してきた場合どうするかとかそういったはなしだ。上に書いた記事とまぁかぶるのだが、まるで、受け入れられないとなったときに、論理的におかしければ、それを指摘すれば、議論は深まるが、その人の思想というか考え方によるもの、生き方によるもの、その人の時代や記憶(経験)からくるものでであったりすれば、当然ながらどっちが正しいということは、議論のしようがない。
そのときに、どうしてそのように考えるにいたったのかを聞けばいい。まぁたいていは仲良くないと聞けないし、やんわりと聞くとしても相当のスキルがいるんだけど。
上の記事では聞くスキルを身につけるとか面倒だし、そもそもそんなスキルを身につけようとして欲しくないから、単純にたくさんの時間、会話すれば良いとした。
例えば、自分は音楽やその他サブカル関係とても強い思い入れがある。強い思い入れがあるからこそ、これはちっとも面白くないとか思うものがあったりするものだ。
例えば、音楽でヘビメタが嫌いなジャンルだったとしよう。それで、ヘビメタが大好きって人あったら、はなしが結構噛み合わないものだ。それはそれで仕方がないし、人の好き嫌いだからどうなるものでもない。そうなったら、はなしを別に話題にするのも手であるが、さすがに20代よりも今は余裕が出てきたので、例えば、いつから好きなのとか聞いたりすることも有効だと思うし、たいてい嫌いなジャンルも確かにほとんど嫌いだったりする。でも中には、クロスオーバー的なことをやっている人もやはりいるもので、そこから、新しい音楽を見つけることができるかもしれない。
*まとめ*
結局、人の話を聞くというのはコミュケーションにおいて重要です。
蛇足
・昨今よく聞く、アスペルガーというやつについて、
アスペルガーだなと該当する人に、まぁ5人以上にはあってきたと思う。
アスペルガーの人はまず、空気が読めない。みんな該当する。さらに、ネット用語でいうところのクソリプを飛ばすというかギャグを完全にマジレスで潰してくるというか、、、
それは、アスペの特徴なんだけど、まぁ空気を読めなくても、言葉を文字通り受け取りギャグを潰されてもいいんだけど、
たぶん、一番問題なのは、話を聞かないことだ。程度の軽い?あるいは、自覚があり改善しようと努力している人はいくらか議論ができたし、話を聞くということができた。問題は小さい。でも、まぁひどい症状というかそういう人はみんな全く人のはなしを聞かなかった。本当に全くだ。会話が成り立たない。キャッチボールが全然成り立たない。
自分もいくらか、本当に症状が軽いそのような傾向があるから、なんていうか言葉は悪いけど同情でそのようなアスペの人の話を自分が聞いたりするんだけど、そんなおれでも、かなり苦手意識が高い(得意な人なんていないんだろうけど)。
実際、そのようなアスペの人はほぼ必ず嫌われている感じだ。まぁ自分の付き合いがあるコミュニティーはみんないい人ばっかりだから、嫌うというのはちょっと違っていて、飲み会とかだとその場から逃げるという感じだ。さらによく知られた通りアスペの人は何か興味がある対象にはそのことにハマる傾向があるから、がっつりこっちが知らない話題をおいてきぼりにしてずっと話し続ける。
すごい才能があって他人の話しを聞く必要がないレベルの人は問題ないけど、だいたいのアスペの人はそうではない。だから、大変だよなぁって。
プログラマーの人たちの話を聞いて
最近、自分はrailsを勉強している。さすがに、自分もほどほどの年齢だし、適当に生きるといってもあまりに微妙なことはしたくない。その点プログラムのスキルを身につけることは非常にメリットが多いように感じられた。
1.なくならない仕事
某人がよくいっていたことだが、英語とプログラムのスキルを身につければ、まず、くいっぱぐれがない。
最近よく話題なように、自分の仕事がロボットやプログラムに置き換えられて、なくなるんじゃないかということだが、当然ながらプログラムで動くのでプログラムを作る人はなくならない。したがって、プログラムの需要が単純にあることがわかる。
さらに、英語を身につけておけば、日本内に縛られることもないので、日本というものに嫌気がさしたら、他の国で仕事をすればいい。
2.働く場所に縛られない。リモートワーク可能
プログラマーはある程度、知識を身につけてしまえば、リモートが可能な仕事である。実際、そのような人が多数いる。東京だと当然ながら、人が多く、仕事場にいくのは、だるいはずだ。それから避けることができるのは大きい。
なんなら、海外にいながら、日本の仕事を受けるだとか、日本にいながら外国の仕事をうけるだとか、そのような働きかたが可能。
3.転職が容易
他の業種では、あまり聞かない転職だが、こっちだとはっきり言ってとても多い。というか普通のことだ。高校大学時代の友人で転職している人は、2割くらいの印象といったところだけど、
私の周りにいるプログラマーのかたで転職した経験がない人は、むしろ1割くらいだ。スキルがあればどんどん転職するし、フリーになる人も多い。
4.対人スキルが重要な仕事ではない。
例えば、営業のような職業があると思うが、当然マニュアル的な契約の定石やスキル/知識もあるだろう。けど、やっぱり人間相手なんで、そんなにマニュアルでいけないだろう(と思うんだけど)。
もちろん、仕事となれば、プログラムを書く以外にそりゃ連絡やその他のコミュニケーションもあるかと思うので、対人スキルがゼロでいいわけがないが。
5.fuckin'ルーティンワークを改善できる
たぶん、仕事だと微妙なルーティンワークがあるはずだが、改善することが、可能だ。というか、プログラマーやITの思想上だるいものを無くそうという方針でやっている人が多いかと思うのだが、だるいルーティンワークはプログラムで改善するができる。
他では改善できないというわけではないが、いくらか障害が多いことだろう。
6.仕事にするまでのスキル・知識の量がそこまででもない。
ぜんぜん、違う分野だった人がスタートできる。それも3ー6ヶ月くらい勉強すれば、可能だという印象だ。別に工学部の情報学科を出る必要はない。
スキルが必要な仕事である割には、スタートにかける時間は少ないと思うのだがどうだろうか。
したがって、プログラミングスキルというのは専門性がそこまで高くない、汎用性があると言える。
7.力仕事じゃない。
自分は体力がないので力仕事は無理です。
*デメリット*
・場合によってはというかリリース前は激務。いわゆる炎上してしまったりして、すごく大変な時期がある。
***
かなりいいと思える仕事であるが、残念ながら向き不向きがあるようだ。
ある程度、自分で熱心に勉強というか知識をつけようとすることができる人でなければならない。
実際、そこにたまたま居合わせたプログラマーのかたに聞いたが、割とノースキルからプログラムの仕事に挑戦し、生き残った人は1割程度ということらしい。
***
大学時代の友人に会うと、全員とまで言わないが、7割以上が仕事がクソだといっているし、そこでのやりがいみたいなものを感じるというような印象で仕事の話をする人はいない。
一方で、プログラマーの人は勉強熱心だし、そりゃ見てて大変な時期なんだなとかはあるけど、大学時代の友人の例でいっていたような、仕事がクソだという印象とは大きく違っていると感じる。
ここまで、書いてあれだけど、ただ、身の回りにたまたま満足のいく仕事をしている人が多いだけかもしれない。
よく聞くようにプログラマーでもSI系は、微妙だということしか聞かない。
プログラマーという仕事がいいんじゃなくて、たまたま周りの人の環境がいいだけなのかもしれないので、注意です。
シェアハウスに住んで、一年経過!日記
相当、うちわな話。きもい文体。
**シェアハウスで仕事をゲットできる説!?**
おれは仕事をしていなかった。適当なバイトをしたり、カテキョをしたりで食いつないでいたが、さすがにお金がなかった。そんな中、id:tokisaba
さんにあった。ゆるのみ参加つながりから、ちょっとだけお仕事の手伝いをしたら、どういうわけか適当にフラフラしていた自分に声をかけられた。もうちょっと働かないか的なことを。
当時、どうして声をかけられたのかはわからないが、まぁなんか仕事をしないかって声をかけられたのはとてもとても嬉しかった。(本当に救われたという言葉が適切で、感謝しきれないというか)
仕事ってのは、なんていうか探すもんだと、バイトならバイトの応募を店の前で見つけて、電話するとか。会社の就職なんかは、もっと大げさというか、、、ある意味では不自然というか。
それに対し、直接に声をかけてもらった事にすごく新鮮さを感じた。たぶん、むしろ古い時代では普通だったことなのだろうけど。
いまの話は、おれ自身に起こったたまたまなことだけど、、、
人づての仕事の紹介はよくある。コミュニティに属するってことは強いね。
人づての紹介だから安心だし、とても。
**
まぁ、直接仕事の紹介じゃなくても、仕事の話がいっぱい聞けるって話ですがー
現在シェアハウスに住んでいるひとの9割?くらいは働いて、(まぁ少しニート的なかたもいるんだけど)
すごく情報が共有できるんだ。たぶん、会社の実情とかってのは、就活中にはなかなか聞けない。聞けたとしてもある程度建前をくんだものなることが多い。
それに対し、シェアハウスの住民から直接聞くことができるわけだけど、やっぱりいっしょに住んでいる人から聞けるような話だからベリーホットな内容のものが聞ける。そうその情報っていうのは、これだけネットにそれこそブログとかに、会社のこととか仕事の内容とか書かれているんだけど、そこでの内容よりやっぱり新鮮だし、ナマなんだ。(ネットには書かれていないか、完全にクローズドなはずだ)
これだけ、自分は会社では働きたくないと思っていたけど、全然、印象違うというか、そういう感じなら働いてもぜんぜんいいんじゃないかとかそういうものがあることも分かったよ。
**
仕事じゃないけど、趣味でまぁちょっとしたフィギュアをシェアハウスの住人と作ったりして、初めてそういうイベントでサークル(ディーラー)参加したんだ。それはぜったい一人じゃできないことだったし、シェアハウスだからできたというか、偶然というか本当素晴らしいことだ(テーブルの向こう側に行けたんだ)。去年の一番の思い出だね。スプラトゥーンと共に。
**コミュ症について**
前にこのブログでも書いたのだけど、おれはライトなコミュ症だと言ってきた。確かにガチではない。それはそうなんだけど。例えば、
・体育会系的な上下関係,年齢関係をがとても苦手。
・大きい声で怒鳴られたりとか、なんかきつく言われたりが異常に自分の中で残ってしまう。(非常に悪くきつく言ってしまえば、ドキュンとの対応が苦手なんだ)
上の2点のようなことで”自分の中で”トラブルが起きるともうその人とはコミュニケーションしたくないって思うし、実際そうしてきた。
ギークハウス周りで、自分が”ライトな”コミュ症だと言うと、みんなに否定された。実際のところ、確かに思い返すとコミュニケーションがうまくいかなかったことがない。
その理由は、なんなのだろうか。単純に、プログラム関係の話が通じるためなのか。
一つ前に書いたように、シェアハウスであまり年齢がどうとかは気にする必要がないように感じる。それが自分が思うには、いっしょに住むのに例えば、なんか掃除とかを年齢が低い人がやるとか、そんなことがあったらシェアハウスなんてやっていけないだろうし、住人の入れ替わりが多いこともよく影響していると思うし、海外経験がある人が多いことも関係あるだろう。余談だけど、8割以上の人が海外で数ヶ月とか数年とか住んでいたことがあって、みんな英語が(それぞれレベルがあるが)しゃべれたりしてすごいんだ。
**所属欲求**
所属欲求について、シロクマ先生の記事を参考にするといいのだけれど
シェアハウスに住むことで所属欲求が満たせます。もちろん、シェアハウスだからこそのトラブルや不自由な思いもそりゃあるとは思うんだけど。
精神安定すると思う。最近は、つらいこと自体あんまないけど、仮にダメージを負っても復帰もいくらか早いんじゃないかな。
**情強がさらに情強に**
ギークとかいうだけあって、まぁたぶん多少なりとも情強なんだ。けど、さすがに、あらゆる情報を一人で網羅するのはなかなか難しい。けど、どんどん強い人同士で、情報共有してさらに強くなっていく感覚あるんだよね。
**共有する時間が長いこと**
なぜあの人はあんなわけのわからない主張をいうのか - ふらふらと生きる。
っていうのを過去に記事で書いたけど、訳のわからない主張は置いておいて、その人が考えていることとかって、なかなかわからないと思うし、その人がどういう人かって、やっぱりすごいたくさんの時間話ししてわかると思うんだ。
シェアハウスに住んでいるとそれが、自然にできていい。ある人が、とても面白い話を持っているのにぜんぜん話をしないんだよな。それは、その話がマニアックだったりでそりゃー初対面の人にはしないってな内容のことなんだけど。
それを引き出したいんだ。それを引き出すまでに2時間で引っぱれるかもしれないし、20時間ぐらい時間を共にしないといけないかもしれない。
面白いはなしを引っ張りたいんだ。
それが、シェアハウスなら自然にできる(ことが多い)。
**蛇足**
人脈って言葉があまり好きじゃなくて、そう人脈って言葉はどこか自分の利益につなげたいっていうなんかいやらしさが、言葉にある印象を自分は持っている。
確かに自分はいろいろな人と交流したいと思ってシェアハウスに住んだのだけど、
仕事するようになったとか、その他、本当に偶然で、なんか成り行きなんだよね。
それが、面白いところでポイントなんだ。
とりあえず、書きたいことを書いた気がする。ありがとう!
8/25日記、シェアハウスに住んで
日記、シェアハウスに住んで
注:こちらは、昨年8/25に編集中のまま未公開だったものを加筆修正したものです。
私は去年の4月よりシェアハウスに住んでいる。
シェアハウスに住んで5か月がたった。
一部では有名かもしれない。ギークハウスだ。
そこで、まず、シェアハウスに住むにあたって考えたこと。
また、住んで5ヶ月たった感想を述べる。
*第一話、シェアハウスを選んだ動機*
私は例えばぜんぜん知らないコミュニティに積極的に参加するのは苦手だ。たまに友人でも何かしらのイベントに参加しているのか、とにかく知り合いが多い人を知っている。SNSなどでもすぐになんかうまくやりとりしている人とかもいる。
前からよく友人と話していたことだが、(学校ではなく)社会人で趣味の合う友達を探したいと思っていた。仕事先で気の合う仲間を見つけるもいいかもしれないが、仕事先ではないものを考えたかった。
ここでスポーツなんかはうってつけかもしれないが、なんせ私はほとんどスポーツはできない。
趣味(アニメや音楽など)でネットで見つけたサークルなどに顔出してみるのもいいかもしれないが、なかなか適当なのが見つからないし、勇気もない。
また、例えば一人で飲みにいって気の合うやつを見つけるのもすぐに思いつく案だが、私はお酒が苦手だ。
*シェアハウスを選んだ経緯2点*
・友人を探す。(彼女ではない!)人間関係を増やす。
・ひとりで充実することを避ける
住む場所を探す上でまずみる家賃や住む場所はもちろん考慮したがそこまで第一にこなかった。シェアハウスを住むうえでやっぱり家賃が安いからという理由の人も多い。私は住む場所はどっちでもよかったので、一人暮らし家賃がもっと安いところはいくらでもあった。
ひとりで充実することを避けることについては、一人さびしいとかひとりでつまんないっていうことは全くないわけではない。一週間レジの店員とだけの会話なんてのもあるあるなので、たしかに誰かと話したいっていうのはあった。
だが、それよりもっと大きいのは、どちらかというひとりで一日ネットサーフィンして過ごすとかブログ読んで過ごすとか、アニメ見て過ごすとか、それはもう充実していいやー素晴らしい1日を過ごしたなぁと思う一方で、果たしてこれでいいのだろうかというのはないわけではなかった。大学のときはそういう過ごし方はいくらでもあったが、友人と話す機会もそれはそれで少なくなかった。ただ、東京来て適当に働いたりしてからの一人暮らしの過ごし方は少々それがひどかったように思っていた。
**第2話、シェアハウスに住むことについて**
一緒に暮らすというのは、まぁとにかく何かしらでコミュニケーションをとるし、話す機会も多い。
今回よかった要因は、ギークというパソコン関係に興味があるという集まりだったからは大きい。逆にぜんぜん違うコミュニティだったらきつかった可能性はある。
シェアハウスは大学のころの研究室のように感じることもあるし、サークルのように感じるときもある。いっしょにいる時間が長いから研究室の方が近いか。
とにかくいる時間が長いから自然とコミュニケーションはとれるようになるはず。
いろいろなシェアハウスにいたことがないから分らないが、基本上下関係とか誰それが偉いみたいなのはないように感じている。それが私にとっては極めて重要であり、非常に今のところいい感じだなぁと思っている点である。
(注:いろいろな人にシェアハウスについて聞いたがやはり住む人で決まる部分はあるようだ。やばい人がいると一気にハウス全体の雰囲気が…みたいになる場合があるとも聞く)
あとは、思い出です!
**シェアハウスでの個人的な思い出**
よかったことは、いっぱいある。もちろん、住居人との話についてだが、
1.就活中の大学生といっしょにSPI対策のためにいっしょに数学を勉強した。さらに、お礼で自分の当時、カテキョをやっていてそのへんのアピールのやり方をいっしょに考えたり、ポスターみたいのを作ったりした。そのキャッチコピーを1000円でクラウドソーシングに投げたりしたことは、すごくいい思い出。
2.プログラムの仕事がいるので、影響を受けてphpを勉強。てきとうに、twitter botを作成!初めてのphp、bot作成も住居人がphp面白いよ〜言わなかったらやらなかっただろう。教えてもらったわけではないが、いい影響をもらった。
3.なんといってもこれが、一番の思い出なのであるが、
いっしょにスプラトゥーンをやったことだ。自分がwiiUをソフトの発売日の2日後の深夜あたりにいてもたってもいられず、近くのGEOに買いに行った!
そして、やはり、住居人がどんどんはまりだした。交代で順番にコントローラーを渡しながらやったのは、小学校以来という感じがしてちょーよかった。
しかも、住人がはまりにはまって、wiiuをもう一台買ってきた。あのときは、まじでびっくりしたよ。
そして、イベントのときだ。スプラトゥーンは今では同じチームでゲームができるがその当時はできなかった。イベントでは再戦するとチームが変わらない。同じチームになりたかった。そこで、安易だがいっしょのタイミングでオンラインのマッチングにボタンを押す。そう、何回か試したのち、同じチームになったのだ。あのときのテンションの上がりよう。ここ数年で、本当になんていうか純粋に楽しめたよ。そう、中学生以来だ。もちろん、朝までずっとやった。ほんとばかだけど、こんなゲームが楽しいだなんて