ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

ため息とアンラッキー

この記事は以前の→「”あまのじゃく”ラッキーのつかめない生き方!
で書いたことの続編です。
 

ため息をつくと幸せが逃げるというが、本当だろうか。

「成功しない人って、僻みっぽく妬みっぽく怒りっぽい。」
と呟いていたひとがいた。
口癖について、ググってみると、いろいろ書いてある。
”でも”、”だって”が、口癖のひとは、言い訳が多い人だから、使わない方がいいとか。
 
*本文*
 
まず、よく想像してみてほしい。なぜ、ため息をつくはめになったか、
気づくとため息をしていたのかもしれないが、普通は生活仕事などがうまくいかなくてため息をよくつくようになってしまった。
が正しいだろう。
 
マジレス寒いみたいな感じだが、ため息をついていたら、いつの間にか、生活がうまくいかなくなったわけではなく、生活がうまくいかなくて、いつの間にかため息をつくようになった、が自然だろう。
 
そうならば、くせになったため息をやめれば、うまくいくのだろうか。
 
 
ため息は実際まわりも気分が悪くなるというのは、事実だ。そう考えるとため息は、確かに得られていたかもしれないラッキーを、掴めなくしてしまったたかもしれない。
 
そう考えれば、フィードバックといった風になって、悪い循環にはまっていくのだろう。
 
一方で、(自分の想像でウラをとっていはいないが)、ため息をつくことで精神の安定を保っているかもしれない。そういった意味で、無理やり止めてしまうのもどうなのだろうとは思う。
 
 
*まとめ*
 
たぶん、他人から、マジに「ため息は~」なんて指摘されたら、以上のことから、相当「ぐぬぬ」って思いをするはずだ。つらいことだろう。
 
しかしながら、 
ため息をつく人、でもだってなどの口癖は、これは、精神を保っているんだという自覚と、良くないフィードバックを促進させてるという自覚を持って積極的に/消極的に、ため息・口癖を実行しよう。
(本気で、~さえしなければ、状況が改善されると思うのは、間違いなので、、、因果をとりちがえてはいけない。)
 
 
*付け加えて*
 
確かに、落ち込みやすいひと、ネガティブ思考なひと、あまのじゃくなひと、羨むみたいな気持ちが強いひと、言い訳が多いひと、怒りっぽいひとなど、こういったひとは、掴めたラッキーを掴めないかもしれない。
だが、誰しも普通はこういった性格を持っていて、ネガティブ思考じゃないけど、妬みっぽいなど、人それぞれ特性があると思う。
なかなかティーンのころなどは、自分の特性が見えてこないと思うが、
自覚できるようになったら、制御するシステムを作る。さらに、理想はそれを昇華させられたら素晴らしいのだが…。
 
自分も以前書いたように重度のあまのじゃくだが、それが冷静にあんまり良くなかったと気づいたというか、考えたのは最近だ。だからといって思考を変えるのではなく(そもそも変えられない)、どんな風に利用していこうかと考える。
 
 
 *余談、怒りっぽいについて”* 
 
自分は他のひとと比べ、ぜんぜん怒りっぽくない。図書館で心理学とかいうコーナーの前にたっていたら、いらいらしないためにみたいな本がけっこうあって、めくってみると、自分との感覚の違いに非常に驚いた。
私が普段の生活で、いらいらするのは、使いなれたアプリケーションのインターフェースが変わったときとか、スーパーのレジで長く待たされるときとかだが、(私は待たされるのはけっこう好きという変態だが、レジ待ちだけは確かに嫌な感じだ。)しかしながら、スマホを手に入れてからは、スマホTwitterを見てればすぐに過ぎる。そのため、レジ待ちも改善されてしまった。
もちろん自分はいらいらしないよう努力したことなんてない。なぜかしらないが、どうしても、個人個人で特性があるのである。