ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

あなたの発言は必ず誰かを傷つける

*注意*

タイトルの"必ず"という言葉が強いので、発言とは何かちゃんと定義する必要はあるが、なぁなぁといった感じになっている。また、ネットがいつどこからでも見れることにより、引き起こされることなのでであるが、狭いコミュニティ(極端な場合1対1)では、傷つける可能性は少ない。やや大げさなタイトルではある。

 

 *本文*

2年くらい前にfacebookに食べ物の画像を投稿しているが、アフリカは飢餓で苦しんでいる。そのような人もfacebookを見ている。その人のことも考えてくれてと。というつぶやきがあって、話題になった。

 
このひとが言っていることは正しい。貧困の人は、美味しそうな料理の画像にツラい思いをするかもしれない。
(メシによくありつける人でも、深夜にメシテロとして、恐れられてはいるが…)
 
facebookを見れば、いかにもな、結婚報告画像を見て何を思うのだろうか、
いつも私はいろいろな事を考えさせられ複雑な思いをする。(嫌な思いというわけではないし、自分から定期的にログインしている)
 
他にも、~のアニメが好きというのも、いわばアンチの人にとってはのっぴきならない事態である。話題に出すだけでも、顔色が変わるかもしれない。
 
何がいいたかってというと、たとえ困らせようというつもりがなくても、もっといえば非常にポジティブな思いで発信しようとも、受け手によっては不快に思うということ。
  
 
 
 
じゃあ、メシ画像も幸せ画像も~が好きだというのも、ダメか?
そうなったらもはや呟けることなんてない。
それは、さすがにオカシイかと思う。
 
(都合のよいとこをとって、)人を積極的に不快にするとされるものはダメとしよう。
だが、そうなると線引きの議論になってしまい、どうも面白くない。
また、
ひとを不快にさせる気持ちであげるのはよくない。としよう。これも同様に弱い。
むしろ、善意による迷惑が一番、悪だという意見もあるだろう。
 
 
関連して、(政治の議論とかではなく、アニメとかの)批判することは、よくないという人もいる。
今いった事柄から、不快にさせるからという論拠で、批判はよくないとすると、原理的に"好きだ"というのもダメになる。(アンチを不快にするから)
 
"好きだ"という発言をダメにするわけにはいかないので、批判はしていいことになる。
 
 
ヘイトスピーチに関連して*
 
今の話の流れだと、つまりは、何をいってもいいじゃんことになる。
しかしながら、いわゆるヘイトスピーチみたいなのは、さすがにダメでしょってなるだろう。
 
そこで、私は、発言の指標を考えた。
 
(1)多数(マジョリティ)対少数(マイノリティ)、多数対1 みたいな構図になりそうな場合、たとえ、相手に非があると考えられる場合でも、冷静な人から発言はやめる。
 
(2)「日記②(争いとか)」の記事にも書いたが
問題があった場合、その特定のひとを叩いて、根本的な解決になるかを判断する。
 (ロス暴動はおこすな)
 
(3)住所特定、リアル突、コロス発言 などの禁止。
 (戦争にもルールを)
 
*発言の例*
 
・オタクきもい フィギュアきもい
腐女子は帰れ
・~ファンはきもい
・~はオワコン
"氏ね・キモい・きらい" などの積極的なディスは、サイコパスが濁っちゃうかもしれないので気を付けよう。
 
 
 
*対策*
(1)嫌なら見るなというのは、プリミティブな作戦だが、あまり自分は強く嫌なら見るなと言いたくはない。
なぜなら、それを突き詰めるとマイノリティはopenなsnsを使うなということにもなりそうで、面白くない。
 
(2)これもあまり強調したくないが、スルースキルも大切。慣れもある。もうみんなたいていのグロ画像になれているんだ。
 
(3)スルースキルよりは、回避スキルを身につけよう。はやめのミュート・ブロックは、大切。私はニコニコのコメントは常にNG共有度、高です。
 
 
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