ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

返報性の原理とコミュ障

個人的な知り合いでもあり、ブロガーとしても有名な坂爪氏が語っていたことだが
坂爪氏には、直球な「お金くれ」というメールが来るらしい。(実際のメールの文章は長文というから…)
坂爪氏によると、そういうあげるもらうのやり取りにレベルがあるとして、お金をもらうということはレベル5(数字は具体的なものじゃなくイメージ、最大という意味)である。さすがにいきなりお金くれっていわれてもちょっと無理ですよと。
(中間はごはんをおごるとかだろうか。)
何かもらいたかったりして、そのようなやり取りのレベル0があるとしたら、自分が"先に"何かあげることである。といっていた。

さらに彼の体験では、
自分が好きな本をたまたま複数持っていたのでFacebookだか動画だかで欲しい人を募集してそれをあげた。そしたら、今度は逆に何かお返しといった形でものをくれたと。

そのようなことを語っていた。


***

ところで、
この坂爪氏の話は、経済関係の心理で返報性の原理として知られているものだ。

ぶっちゃけビジネス関係では、その心理の法則を知ってていわば、戦略的に利用したりする。

と書くと、なんか坂爪くんをディスってるようだが、間違ってもそうじゃない。

坂爪くんのブログを読めば分かるが、坂爪くんはいろんなことをよく考えるひとだけど、純粋というか本能的に動くひとらしく、間違ってもひとへのプレゼントも打算的に、モノ貰えるんじゃないかと思ってやっているわけじゃない。あげたいからあげてるだけだ。(坂爪くんがもし打算的なひとだったらあんなすごい生活してないだろう。)

***

ここで私のようなコミュ障の場合だ。
私はビジネスでの返報性の原理なんてのを知っている。そのせいで、なんかあげようとかプレゼントとかするとき、相手にコイツは打算的に、あるいは損得でひとにモノあげたりなんかしてると思われるんじゃないかと思ってしまうわけだ。


最近の例だと、
ブログで他人の記事を引用すると、その人に通知がいくようだ。そのせいで自分の記事を読んでもらえたりして嬉しいのは嬉しいのだが、
コミュ障の私の場合
読んでもらいたいために引用してると思われるんじゃないか、さらにいうと、売名のために引用してると思われるんじゃないか。と考えてしまう。
もっというと、私はその記事が好きで(やや無理にでも)引用したいと思ってしまうのだが、(そのはずなのだが) はたして私は純粋な気持ちで引用しているのだろうか、打算的にものを考えて引用しているんじゃないだろうかと。いろいろ巡ってしまう。

***
もともと私はひとからものを貰うのが苦手だ。ものを貰った瞬間にお返ししなければいけないことがアタマによぎり、そのことが気になったりして、もはや純粋にものを貰うことを喜べない。(喜べてないような気がする)

社会人なら、何かものを貰ったり、お世話になったりしたらお返しするのは当然だ。とは思うが、当然だとするのは本当はやめてもらいたいと思っている。やめてもらわないと私はずっとこのような心理にさいなまれる。

***
ツイッターのお気に入り程度なら、そんな私でも気軽に押すことができる。(ツイッターは素晴らしい。)

はてなのスターのやりとりも気軽にできる。

たぶん私の場合は逆に、ツンデレを想像して、「別にあんたのためプレゼントあげるんじゃないんだからね。見返りが欲しいだけなんだからね。」と開き直って考えるべきなんだろう。

売名のためにやってますと、その方が気持ちがラクだ。


*まとめ*
おまいら、〇〇をくれくれ思ってるなら、おまいらが先にあげなさい。

日記

この記事を読んだ

人生がクソゲーたる理由は適性のある武器・ステータスがわからないまま自分というキャラを育てないといけないからだ! - かくいう私も青二才でね

この記事はまさに、私の言いたかったことすべてなんですよね。


なんとほとんど同じ日付に私はこんな記事を書いてます。

強い自己責任論の否定と環境要因

この記事の終わりの方にある。バランスよくパラメーターを上げたひとっていうのは、RPG でいうところのファイターとかそういったタイプで
パラメーターガン振りしたっていうのは、魔法使いとかそんな感じなんですよね。
で私はファイターはいろいろな環境でも対応できるけど、魔法使いは力が発揮できるか環境に強く依存するよってかいた。
そしてこんな記事も書いているんですよ。

努力と才能について

これをRPG で例えるなら、攻略サイトには、その選んだジョブがどこまでパラメーターが上昇するか書いてあるけど、現実だとわからないといったとこでしょうか。
これは、ストイックな話でまとめていますが、ライトに語るなら、自分の(潜在的な)実力なんてよくわからないのはもちろん、現時点での実力・自分の特性(あるいは性格とか)さえもよくわからないんですよ。
例えば、こんな仕事得意とか、これは、あんまり得意じゃないとか。
自分の実力とか特性を知るのは、極めて重要で、その自分の実力を過大評価しても、過小評価するのもよくないんですよね。
じゃあどうやって実力を知るかっていうと、やってみるしかない。トライアルアンドエラーなんですよね。
そして、その自分の実力を活かせる環境で発揮すればいいわけです。
言うのは簡単ですけど、魔法使いはマジで環境限られていますからね。そういう場所見つかるんでしょうか。

 

もちろんね、第二次性徴が終わる高校高学年なんかになったら、ジョブチェンジなんて出来ないですからね。魔法使いが不得意のパラメーター上げようとしてもなかなか上手くいかない。上がるパラメーターを上げた方がいいと思いますよ。(経験談)

例えばっかりしていてもわかりずらいですけど、装備品とかパーティを見つけるとかの方がいくらか効率がいいですよ。


***

 

いやー私も非常にライトな躁鬱なんですよ。なんてたって家族にガチな躁鬱いますからね。

昔からね。家帰ってくるでしょ。そうするとほぼソッコーで布団に入って何も出来ないんですよ。いまなら、休日はずっと布団なかでスマホいじっている。ずっとっていうのは文字通りずっとですよ。だから、スマホに変えたくなかった。


けど、スマホは素晴らしい。私は去年からスマホに変えたのだけれど、人生変わったって言ってるんですよ。大げさだけれど。(もちろんこの記事布団の中で書いてますよ)

だってね。布団かぶりながら動画見れるんですよ。私の中ではさながら映画館ですよ。ちょー動画に没頭できるわけです。音楽のミュージックビデオなんかみても、あんなに世界に浸れるもんだと思わなかった。まぁ迫力は落ちますが没頭できる度合いでいったらこれ以上ない。

 


こんなエピソード言うのは恥ずかしくて言えないんですけどね。家でハミガキ出来ないんですよ。それすらめんどうなんですよ。私、これ普通だと思っていたんですよ?けど、どうもね、普通のひとはそうでもないらしいんですよね。


いろいろみてると、うつ関係のひとはみんな外にでろっていうわけですよ。けど、外に出たかないから、こうしてるんですよ。悪循環ですよ。これは、かゆいのをかくのと似ている。かゆいけどかいたらどんどんかゆくなって悪化するわけですよね。

 

青二才さんの記事は参考になるなぁ。


*おまけ*

ガチな躁鬱のひとと会社なんかでいっしょにやってくのは大変かもしれない。躁のときは人あたりもよくて付き合いやすい。元気なひとだなと思われる。仕事もできる。が、何かの境にうつ転したり、すると急に仕事もできなくなったり連絡が滞ったり。

まわりからもしかすると、最近たるんでると思われるかもしれない。

暗くなっていて、何か落ち込むことでもあったのかなーって思ってたりしたら、 今度はいきなり今日はハッピーみたいなテンションになっている。こいつは一体何なんだとなる。

理解に苦しむというやつですね。まぁ別にそういう人に対してどうこう対策はないんですけど。みなさんのまわりにそんなひといますかね?滅多にいないだろうとは思いますが。



がんばれ♥がんばれ♥

 

 

 

Amazon.co.jp: なぜ皮膚はかゆくなるのか (PHP新書): 菊池 新: 本

 

ランキングのあれこれと、自分の好きなものの見つけ方

この記事

なぜ、「小説家になろう」の作品群は魔王勇者モノばかりなのか? - かくいう私も青二才でね

を読んで、久しぶりにランキングについて書きたくなったので書く。流れは
1.ランキングについての思い出
2.ランキングのメリット、ランキングという演出
3.ニコ動の今昔、アーリーアダプター論、ランキングを形成するユーザー層の変化
4.どうやって自分の好きなものを見つけるか

 

※↑で引用した記事の中心テーマは3と関係のある話ですが、ランキングのジャンルの多様性とユーザー(アーリー・レイトマジョリティー)の多様性など、若干まとまっていません。

この記事でのユーザーは、作品の作り手ではない、消費者の意味で使っています。


1.ランキングについての思い出

まず、音楽の話から
自分が中学のときは、みなさんご存知のB'z、GLAYラルクが私も好きだった。これらのバンドがたぶん一番流行っていた時期である。
その当時、CD 売り上げランキングも欠かさず見ていた。今あげたバンドなり自分の好きな音楽がランキングにのると非常に嬉しかったことを覚えている。

 

○ランキングに対する不信
その頃には、B'zGLAYラルクともに古いアルバムも聞いていた。そうなると、中学当時のランキングのっているそのバンドの曲が正直いまいちだなと思ったのだ。このバンドは昔のアルバムでもっといい曲あるのになんで売れているのだろうと。
同時に中学では少しずつマイナーなものも聞くようになっていた。非常に好きだと思えるものも見つかった。そうなると、なんでこれは売れてないんだとなる。
当時は世の中を知らなかったから、いいものが売れると思っていたし、自分がいいと思えるものはみんなもいいものと思っていたのだ。

 

2.ランキングのメリット

ランキングというものは、良い点悪い点あるが、
例えばサッカーのランキングならそのランキングの評価方法が有意義ならば、強さのランキングなので、誰も文句はないだろう。スポーツは強さを競うものだ。
しかし、音楽・芸術においては、何がいい作品かといいだしたら、ちょー話が長くなる。好き嫌いで終わらないランキング形式の評価法を考えるならば、もちろん単純に売れているという評価の仕方もひとつだろうし、例えば作り手が作り手にどれだけ影響をあたえあたられたかを評価するなどもひとつだろう。なかなか数値にできるようなシステムはないが。(リファレンスのランキング)
そういった芸術論はさけて、とにかく、自分の好きなものを探すということにこの記事は着目したい。

 

その点で、ランキングというのは、初心者にとっては、非常にありがたい検索方法だと思う。
ここでいう初心者というのは、日本のポピュラー音楽に対して知識ゼロのひとという意味であり、あるいは、小説は読むけど、ラノベを読んだことのないひととか、ニコニコ動画というサイトに初めてくるひと(日本のサブカルネット動画を知らないひと)とかである。

 

想像できると思うがそのような初心者にラノベの本屋の棚から適当に選んだり、ニコニコにいって動画を適当に選ぶというのは、困難だ。要するにとっつきにくい。その点ランキングというのは、極めて分かりやすい。まず、手始めにランキングトップ見てみようか、と普通はなるだろう。

 (平積みや本屋のオススメは今は考えないことにする)


○ランキングという演出
ランキングというのは、極めて明快で、芸術という優劣があるとかないとかいうものに指標与えてくれるものだし、闘争というか、勝った負けたができて、いわば、どきどきするというか、そういったものである。
そのせいで、非常に強力な演出になるのだ。というのは、自分の見ていた頃のテレビは、すぐ○○ランキングをやっていた。要するに視聴率がとれるのだろう。私も高校生の後半になれば、完全にランキングというものに疑問を抱いていたので、その安易な演出方法には、辟易していた。(特に男性はランキングが好きだ)
ニコ動でも動画内で○○ランキング、ブログでも○○ランキングというのがあるが、特に何が悪いということもないが、私はネガティブである。
ただ、ひとつコメントがあるとすればのは、個人的な好き食べ物や趣味のランキングは文句のつけようがないが、"おおやけ"のランキングには注意が必要だ。
テレビでやれば、テレビ側が工作している可能性があるし、ネットでやれば一部のユーザーが工作している場合がある。勿論運営が工作することもあり得る。

 

個人のランキングについての私の戯れ言(芸術論)だが、よく創作物にいい悪いのランキングつけられるなと思う。○○十選とかのほうが印象がいい。(個人的なランキングにおいてもやはり初心者にとっつきやすくなるのだろう)できれば、作品のランキングでもその人の作品への愛が伝わってくるような書き方をしているものはいいのだけれど。

 


3.アーリーアダプター論、ランキングを形成する層の変化
ニコニコの初期のランキングと比べ今のランキングはつまらなくなったなぁということをいうひとがいる。その人は現在のトレンドについていけなくなった懐古厨なのであろうか。

私たちがネットで失ったもの/YouTuberが必要とされるわけ - デマこい!

ネットは“コミケ”から"“テレビ”になった。 - シロクマの屑籠


これらは、ニコニコ動画・ネットに関して、ユーザー層の変化について書かれた記事である。


これらの記事で議論している通り、初期のニコ動のユーザーと今のニコ動のユーザーを比較すると、どう考えても視聴者の傾向が違う、マジョリティーが違う。初期のニコ動はアーリーアダプターといわれる人たちだったと思われる。
比較して今のニコ動は、インフラの整備もあって、マジョリティーの年齢も違うし、ギーク度も違うし、オタ度も違う。
一方で、ランキングの方法ももちろんオタ度が高いひとだろうが普通のひとのだろうが同じ1票になる。
ということは、ランキングの雰囲気がどうやら変化しているというのは、確かであると言える。

これも本気で取り組めばいくらか変化させることができると思う。
20代のひとのランキングとか、古参IDのランキングとか、(オタ度の高いひとのランキングはできるのか?)すればいいのかもしれないが、そんなすみわけもちょっとつまらないというか、できたらできたでなんだかなってなるかもしれない。

 

○jpopのCD ランキングについて、
僕はそもそもjpop といわず、日本の音楽を一部を除いて聞かなくなったが、どうもjpop がもともと好きだったひともうんざりしているようだ。
というのも、昨今のランキングにはアイドルしかいない。人気のある音楽の指標として、CDの売り上げというのは終わってしまったようだ。ご存知の通り、CDはまるで売れない。CDを買わなくても音楽きけるからだ。では、CDを買っているひとは何を買っているかというと音楽を買うのではなく特典目当て、あるいはついてる映像目当てで買っているのだ。
CD の売り上げから、日本の音楽はアイドルに話が尽きていると結論づけるというのは、ライトの音楽ファンでも流石に一言あるだろう。
これは、アーリーアダプター論とは関係がないが、何らかの理由で、ランキングを形成するユーザー層が変わってしまった現象のひとつだ。

 

4.どうやって好きなものを見つけるか、ランキング検索から次のステップへ
あるジャンルについては詳しくなった、サムネとタイトル見れば、だいたい自分の好みの動画が見分けることができるようになったひとは、"おおやけ"のランキングから次のステップへ移ろう。ランキングがつまらんというひとは、あくまで初心者のひとのためにあると割りきることもいいかもしれない。

 

○といいつつ、ニコ動なら
(マニアックな)タグ検索は有効。タグ検索は依然としてランキング検索であることには変わりがないが、少なくとも全体の(基本カテゴリの)ランキング以上に有効だと言える。また、タグの大百科に紹介されている動画は、面白い可能性がある。大百科に書くだけあって、編集した人はそのタグの動画の専門家だ。お気に入りの数に関係なく面白い動画や歴史を踏まえた動画紹介されているぞ。
(ランダム検索も試してみたけど、くそ動画ばっかりで意味がない、だから次は絶対勝つために僕は大百科だけは最後にとっておく~)

 

○こっからはニコ動に限らず
自分の趣味があう人を探す。ネットなら趣味のあうツイッターなりを探してフォローする。

本を探すのではなく、人を探す: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

私の言いたいことはだいたい↑の記事に集約されています。なので、もうこの記事終わってもいいのですが…

 

・作品に出会うきっかけ。
自分のオタ友達でも、自分の趣味とことごとく一緒なんてひとはない。が、数作品の共通項があるわけだ。それだけで音楽全体・マンガ全体の話ができる。そのトークの中から気になるものを見つける、オススメを聞く。音楽友達に久しぶりに会うとたいてい、『最近なに聞いているの?』はいうよね。
交流は素晴らしい。

(ちなみに、昔は自分も若くて誰かれかまわず、サブカルつまり趣味の話をふった。これはあまりよくない。気を付けた方がいい)

 

例えば自分は今期のアニメは何見ようかな~って(能動的な)感じはほとんどない。ツイッターのフォロワーさんで激オシしているひとがいるとか、タイムラインのあちこちである作品の話題がでていたら、ようやく見よっかな~みたいな。

 

ブログなら購読しているブログの人が引用している記事から、面白い記事・ブロガーに出会う。

 

○サムネorジャケットor表紙とタイトルから自分の好きなものを見つけるスキルも基本も大切に。
逆にいうと、サムネと表紙からこれは多分おれ好きじゃないだろうな~っていうのがある。それをたとえ見たとしても、9割5分くらいは好きじゃない。になってしまう。
(たまには、知らないものも食べてみよう)

 

 

 

*おまけⅠ、2014の印象的な出会い*
○本 
・「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」:ネットの検索から。
・「ニート歩き方」:本人のブログから、このブログと出会えたのはたぶん自分がブログを書くようになったことが大きい
・「銃・病原菌・鉄」:↑のブログの人の記事から。


これらの作品は、本屋や図書館で表紙とタイトルからでは、見つけることは不可能だったと思う。
特に「銃・病原菌・鉄」は、内容とタイトルがあんまり合致していない。いわば、逆タイトル詐欺というか…
しかも本の場合、平積みでもなければタイトルしか見えない。あのタイトルで手に取るだろうか。

 

○アニメ
・「ノーゲームノーライフ」:初めていったとこの美容師さんとのサブカルトークから、その美容師さんとは最初から最後までサブカルトークしていた。あんなにしゃべって髪の毛きるの集中できたか疑問
・「魔法科高校の劣等生」:後述。
他にも素晴らしい作品に出会ったが、あとは自力というか、サムネとタイトルである。

 

○マンガ
完全に自力、表紙とタイトル

 

○音楽も自力

(あったかもしれないが、思い出したらこっそり追記する) 

 


*おまけⅡ、ランキングあれこれ*
(マンガではない)本の売り上げランキングも残念な印象がある。これは、自分の趣味に限らずこれは売れていい。という納得のものもあれば、いかにも香ばしい本も毎年の売り上げランキングに必ずひとつ以上はある。(むしろたくさんある。これは売れていいという作品はひとつぐらいはあるという説も)

 

かくいう私も「小説家になろう」は初心者でね。

最初の導入においてリファレンスした記事にある「小説になろう」も実は私もちょうど最近少しみたのだ。が、ハマる作品には出会わなかった。
が、アニメ化された「魔法科高校の劣等生」は見た。なろう出身という事実を知ったことにより見た作品である。正直イッキ見した。とても面白い作品だった。この記事では全体的にランキングについてネガティブに書いているが、全否定では全くない、この劣等生は”なろう”のランキングトップ居続けた作品とのことである。他のマンガやアニメなどの私のちょー好きな作品はだいたい大きく売れたものである。

 

そもそも超よく使うGoogle検索はページランクというアルゴリズムによるランキングである。ページランクというのは、簡潔にいうならリンクが多いなら(いっぱいリファレンスされるものは)価値が高いという(前提のもと)、ランキングしたものだ。
しかしながら、Googleもリンクするだけのくそサイトなど(ある種の工作)に悩まされているそうで、ギーク度の高いひとの参照に多く点をつけるアルゴリズムしようかどうか、みたいな記事をどこかで読んだ。

 

*おまけⅢ*
この記事の内容を受け入れると、アーリーアダプター(やそのジャンルの詳しいひと)で形成されたランキングでない、要するに大衆が形成しているランキングは初心者向けであるといっている。
では、そのようなランキングが玄人のひとにとってつまらないものばかりである、もっというと、ランキングにある作品はつまらないのか、と言えばそうではない。そのジャンルに詳しいひとも詳しくないひとにも両方受けるというのもある。(初心者によく受けるものもあれば、いわゆる玄人好みのものもある)
例えばワンピースなんか典型例で、幅広い世代男女初心者マンガ好き問わず受けた作品である。(ただ、世の中にはワンピースだけしか読まないといったひともいて少しさびしい)

これを掘り下げると、芸術論になっていく。あくまでこの記事はどうやって面白い作品と出会えるかについてのあれこれと受け取ってほしい。そのような意味でランキングは初心者向きである。ただ、悩ましいのは特殊な事情でジャンルが偏ってしまうことや、工作にあうことである。
(しかも工作すら文化のハッテンに貢献することがあるので、知識が増えると何も言えなくなりますね。アッー!困った。)


問題点

ランキング検索は初心者向きだといったが、アーリー・レイトマジョリティーにより形成されたランキングはジャンルが偏る、という話の仮定をおこう。その場合、本当にランキング検索は初心者向きか、初心者にとって都合がいいのかというのが、青二才さんの記事であるかと思う。


私もマジョリティーにより形成されたjpop から入ったが、かなり違うところを旅している。だから問題ないと言える。のか…。

ニコ動はまだタグ検索とかあるが、確かに小説家になろうは…


(長い記事の割に、重要な部分は引用になってしまったな…)

 

ブログとライフハックの話。永遠のベータ版でいいじゃん。とかとか

(ブログと生活での試行錯誤・ライフハックの話)

 

イシゲスズコ氏のつぶやきから、思ったこと。他。

イシゲスズコさんは

「相手がいる話」を他人にしちゃうと、相手にちゃんと向き合えなくなるよね。みたいな話 - ←ズイショ→

という記事を読んで、やべこれ私当てはまるわ。(自意識過剰かもしれないけど、私のこと言われてる)と思ったとのこと。

それで、いろいろ考えて

 

 

ってな感じで、今日その思いがまとまったようだ。

一言でいえば、「まぁいろいろブログを通しながら、試行錯誤するよね」ってことになったようだが、

 

私もブログは好きなことを好きなときに書けばいいじゃんと思う。が、まぁ確かにブログを読んでいて

「昨日はこうすればいいことがわかりました。今日はこの法則見つけました……。」

あれ、ちょっと前はこんなこと言ってなかったっけってのはある。

※ズイショ氏の指摘は少し違っていて、リアルタイムで進んでいる出来事を早々に記事にすると、事態が変わったりして、記事との整合性の面で自分自身の身の振り方に問題起きたりしないのかねという指摘。

 

 

 

○私の場合(いつもでてくる話)

どうやったら作業できるか、どうやったら自分をコントロールできるか、モチベなどなど、について、今日はこれで、うまくいった。これでいこう。……。やっぱり、今回もダメだった。の繰り返しである。

いちいち私はブログには書かないが、ある程度のスパンで同じようなことを繰り返し書いているのも事実である。(阿呆である)

 

 ○ブログについてのマジレス

お前もうちょっと考えてから、記事にしろっていうタイプは記事を濫発する人である。

逆に、完璧な法則が見つかるまで、記事にしないって人は、むしろブログを書いていったほうがよい。(そんな人はあんまいない)

 

  

***

 

自分は物理をやってきた。物理でいう法則というのは、ライフハックみたいなあいまいでアホなものではなく。厳密で前提条件・仮定が同じなら、必ず適用できるというものである。(適用出来ない実験が発生したら、それは歴史が進むときである)

 

科学とライフハックを同列に語るのは、そりゃおかしい。そりゃそうだが、そういうのをやっていた性分から、どのような条件、ライフハックで言えばどのような人なら、その法則というか方針などがうまくいくかとか。要するに、各個人の経験論で終わらないうまくいくライフハックってないのかなって。言ってしまえば、普遍性を求めたいわけですよね。

そんな風によく考えるている。

 

*関連して*

ライフハックはともかく、私がよく思うのは”なんちゃらダイエット”に関してだ。

 ○○ダイエットなんて本は、いくらでもある。このダイエット法はいいとか、これは私には合わなかったとか。

 これに関しては、すごくツッコミたくなりますよね。そもそもダイエット法が問題じゃなくて、あんたの気持ちの方が失敗の要因強いだろ、とか。

ただただメディアに煽られているだけじゃねぇかとか。

あるいは、そもそもダイエット言っているけど、太ってないとか。

 

けど、これは、実は深刻な問題で、○○ダイエット(笑)で済ますことができない。日本は比較的肥満は少ないが、例えばアメリカの肥満はすごく問題 。(終わりに図のせます。)

 

*まとめ*

○ブログについて

私は個人的には、濫発はともかくどんどん適当なこと書いてもいいと思うんですよね。やっぱりネットって”永遠のベータ版”でいいと思うんです。記事を再編集するわけではないのですが、どんどん記事を更新して、前の記事がダメであったら、ここを改善しました。で

そりゃなかには、

「まるで成長していない………」

という人もいるかもしれませんが。

 

ライフハックの有効性

ライフハックでもダイエット法でもいいですが、どれだけ長くその有効性が認められ、どれだけの人に受け入れられているかも調査してほしいものです。

 

 

*おまけ*

 

 ◇15歳以上でBMIが30以上の人口の割合

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※以下の本は読めばわかるが、タイトル詐欺で内容はかけらもダイエットの本ではありません。タイトルは語呂もよく(というか語呂だけで当然詐欺るつもりはないないだろう)。これぞ一流のタイトル詐欺ですね。


Amazon.co.jp: 牢屋でやせるダイエット (青春文庫): 中島 らも: 本

 

 

 

 

 

 

ドミノ理論とその応用

(ギャグの内容なので、真に受けずに。友人との雑談から) 

 

ドミノ理論というものを知っているだろうか?

ドミノ理論をざっくり説明すると国の民主化運動とか民族の独立などの話である。

ある国がそのような運動が起き、実際に成功すると、近隣の国(近隣にかぎらず)がどんどんおれもおれもと運動の機運が高まり、次々とあちこちで独立などが成功するという話である。理論というからには、「こうなればこうなる」となってほしいものだが、議論に誤謬があるんじゃないか(前後即因果の誤謬)ともよく言われる。最近では、アラブの春に関して、このドミノ理論が言われる。ドミノ現象と言ったほうがいいかもしれない。

 

 

 

1.結婚の話

まぁ私もそれなりの年齢なので、最近よくFacebookでも結婚報告が流れてくる。

それを見ていると、これは、ドミノ現象じゃないかと。

友人のAさんも結婚したし、Bさんも結婚した。仲の良かったCさんも結婚した。立て続けにそんな話を聞いた(としよう)。そうなってくると、やべ自分も結婚しなきゃまずいんじゃね?となる。あるいは、ある程度付き合っているカップルなら、なんかあちこちで結婚の話聞くから私たちも結婚しようかみたいな。

 

2.転職の話

長いことブラックな(人間関係or仕事の量)職場で悩んでいたり、あるいは、仕事自体は別に問題はないが、給料面で不満がある。そんな人はいっぱいいると思うが、なかなか実際に転職には踏み切れないものである。

しかし、Aさんが仕事やめたらしいよ。Bさんもいろいろ悩んでたみたいだけど、結局やめて転職するらしい。また、Cさんは転職して、給料アップで仕事自体いい感じになったらしいよ。などなど。自分も実は正直、そのことはいつも頭によぎってたんだような~っていう人が、じゃあ自分も転職かなぁ。みたいな。

 

 

話の共通点としては、

独立運動なんてものは、勿論おれもおれもできめちゃいきないような非常に大ごとである。同様に、結婚・転職も大事なことで、あの人が結婚・転職したかなんかできめちゃダメで、よく考える必要があるはずである。

 

踏み切れない。けど、きっかけが欲しい。のか。

人間の心理、あるいは群集の心理なんてのは、そんなもんであるということでしょうか。

 

「年齢的なもので、そりゃ時期が重なるよね。」というマジレスも聞こえてきそうだが……。

 

 *おまけ*

 もしかすると関連がある事柄。

「ウェルテル効果」

これについて興味がある方は、自分でググってみて下さい。

 

 

 *追記*

これは、集団心理と関係がある事柄である。私が個人的に思うことだが、成人式でよく暴れる若者がニュースになる。けど、ひとりで暴れるっていうイメージはない。あれは、集団になるから暴れるのだと私は思っています。簡単にいうと行動に起こす閾値が下がるわけです。

すごく簡単にいうと赤信号みんなで渡ればってやつですね。 

これは、いじめなんかの心理でも関係があるようですね。

友人とのツイッターのやり取りから、面白いと思ったので追記しました。

 

 

 

 

初めてワンダーフェスティバルにいってきたよ

私は、フィギュアがち勢じゃなかったが、友人の(月数万?くらいは買う)ガチ勢のひとを誘って、初めてワンダーフェスティバル(以下ワンフェス)に行ってみた。

こういうイベントは地元新潟のガタケと、コミケしか経験がないが、そこらへんと頭の中で比較しながら、感想を述べる。

 

***


・買う人も売る人(ディーラーと呼ばれる)も年齢層が高い印象だった。去年の夏のコミケでは、中学・高校生もいっぱいいた印象だったが、ワンフェスは一番若くて大学生くらいのイメージ。

・企業ブースよりかは、主に個人のディーラーさんを見て回ったが、美少女フィギュアとモンスター(特撮系)、あるいは、戦車とかがあるとイメージして行った。それはイメージの通りいっぱいあったのだが、あまり想像してなかったサブカルっぽい造形物、なんというか美術系ってほどてはないが、アニメ特撮ってのともまた違う(要するに中間くらい?)のもいろいろあって楽しかった。

・買う人売る人もかなり男性が多い印象(参考:コミケの男女比)。いかにも男性向けフィギュアが大半だとは思う。

・コスプレ勢もたくさんいる。従って、会場に女性はいっぱいいた。

 

***

 

○フィギュアの思い入れ

フィギュアもそれなりに持っていたが、自分は部屋がいつも散らかっている片付け出来ないひとなので、なんか自分の所有欲求を満たすだけで、これでいいのかって思いがあった。要するにちゃんと飾ってないじゃん的な。
美術品など(オタグッツでもなんでもいいけど)も集めるだけ集めて倉庫(押入れ?)行きみたいなひともいると思われるが、それでいいのかなって思いますよね。
そんな思いがあって、フィギュアも最近は買ってない。(部屋が狭いのも一因だ)

 

***

 

ワンフェスには
多くのひとが、基本写真撮影okな感じであり、カメラガチ勢もたくさんいた。
自分も正直スマホしか持ってなく、まわりはバズーカ砲だから、残念な(肩身の狭い)感じではあったのだけれど、けっこう写真はとりました。次はカメラを持っていきたいです。

 

ガレージキットについて
申し訳ないことに、今回ガレージキットなるものがなんであるかもよく知らずにいった。ガレージキット(以下ガレキ)とは、レジンという材質のものでできている(一般的なフィギュアはポリ塩化ビニル)例えるなら、ガンプラ的なものだ。しかし、ガンプラなら、組み立てるだけなら素人でもできるし、組み立てただけでも、一応さまになる。知り合いでガンプラ作ってたひとはみんな塗装してたが…。
ガレキについては、(ググった感じ)組み立てもままならない。当然塗装も前提になっていて、素人には、まず無理な印象だった。

ワンフェス素人のおれは、下調べでガレキがたくさん売ってるのは、なんとなくわかっていたが、(いわゆる美少女フィギュア系は)ガレキ以外も売っているものだと思っていた。が、基本売ってなかった。(よく考えれば一点物が売っているわけないですね)


もの(ジャンル)によっては、一点物の造形物もある。
ちなみに、ガレキ制作を請け負ってくれる業者もいるがやっぱりお値段は高い。

 

*まとめ*

 

自分も曲がりなりにも、創作活動したことある人にとっては、みなさんの強い創造性、意欲に刺激された。非常に刺激的で、満足なイベントだった。

コミケほど混んでなく、コミケの”闘いなのだ”という雰囲気もあまり感じない。その点もいい。

次もあんまり、フィギュアを買わないかもしれないが、自分は写真撮るだけでも価値がある気がした。2015夏も行きたいですね。

 

 

*おまけ*

○同人誌の思い入れ
自分は同人誌もまぁまぁくらい持ってるが、あんまり強い思い入れはなく、最近はあまり買ってない。同人誌は薄い本と言われるだけあって、ほんとに一話程度のボリュームだとあんまりテンション上がらないからなのか。短編は好きなのだけど。

 

当日版権という制度があって、版権ものに関しては許可を申請して版権料をだして、ディーラーさんは出展するらしい。同人誌ではあまり聞かれないシステムだ。

あってもよさそうなのにそういえば、見かけなかったなぁというジャンルがあったから、もしかすると許可がおりないのかもしれない。

 

一応スマホでとった写真を上げてみる。本当は勝手にブログに載せたりはNGだったりするのもあるのかもしれない…。非常にさらっと雰囲気程度で。

 

 

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大学時代毎日10時間以上勉強していた俺がモチベについて書く

何度も書いてきたが再度書く。

これは、私に最適化された方法であり、ただの思い出である。

この記事が参考になる人のひとつの基準は、ドラマをイッキ見するようなタイプの人間であり、そうじゃない人はあまり参考にならないかと思う。

 

まず、

・自分は家で勉強は全く不可能。(図書館でやっていた)

・大きなモチベ(やる気)の獲得は、テストであり、テストでいい点をとることだった。(エサですね)

・数学・物理を勉強するのは好きだが、普段からする人ではない。テスト前だけだ。

 

*図書館にこもる*

 

子供のやる気アップの仕方として、

「出来ない子」の成績を伸ばす3つの原則 : 人類応援ブログ

の記事にあるような、一日10分でもやって少しずつ勉強量を増やすというやり方はメジャーな方法である。(多くの人は私の記事ではなく、上の記事を参考にした方がいい)

が、私はこれが、全くうまくいかない。一日10分とか1時間でもいいのだが、それぐらいじゃ少な過ぎてやる気がアップしない。

私も勉強は、マジでやる気がアップした状態じゃないとまるでやる気がしない。

だから、久し振りに図書館にいくと、1時間どころか、最悪2-3時間くらい机の上で落書きしたり、図書館をふらふら歩く。(まじ勉強とかやる気しねぇーの状態) その時間でどうにか、「勉強するぞ、勉強するぞ、勉強するぞ……」(参考

というのはウソで、テキストちらちら見ながら、なんとなく気持ちをそっちに向ける。

どうにかスタートできても、数十分で、うーっなる。

そこで、帰ってしまったらまずダメで、少なくとも4-6時間くらいはこもってテンションを上げていく。

うまくいくと頭が物理に切り替わる。(これを私は当時ショック療法と呼んでいた。)

もちろん次の日も同様に、少なくとも6-8時間とか図書館にこもる。

そうこうしながら、勉強する頭が出来上がり、自然と毎日10時間とかそれ以上できるようになる。その状態では、家に帰っても、数学・物理のことをかんがえていたり、勉強の予定なりが、頭のなかをグルグルした状態になる。(その中で自分の勉強の予定とか目標とかをこなしていくとさらにやる気がアップしていく、みなさんご存知のとおりである。)

注意しなければいけないのは、頭の状態がまだまだ(やる気が上がりきれてない状態)のときに、他のこと(言わば雑音)、例えば、当時だったらニコニコ動画を見るとか、しちゃうと、そこで、振りだしに戻っちゃったりする。言わば、三日坊主で終わる的な。

逆に頭が出来上がっちゃってるときは、もうあんまりニコニコ見ようかなも思わなくなったり、見てもあんまり面白くないな~ってなる。

 

 

なんとなく、多くの人も経験があると思うが

最初はわかんないのが、やってるうちにわかるようになって楽しいってなる。(勉強以外でもたいてい、最初はだるいがやってるうちに面白くなってきた、というやつである)

自分は数学・物理が好きだったから、どんどんテンションが上がっていくわけで、本当にイヤなことだったら、どのみち続かないと思う。

 

当時は結構過激で、やる気だす作戦として、寝る前の意識が浅いときにもテキストをどうにか眺めたり、物理のことをかんがえたりする。そうすると不思議と次の日も物理勉強したいってなる。

 

ギャグとしては、少し不適切なものを出したようだが、実際、上の寝る前の作戦といい、やる気アップは、洗脳とか調教といった側面があるというか似たようなものかなと、

 

 

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「ゲームは一日一時間」という標語が昔あった。

これがたぶん自分の場合不可能で、おれ理論では、毎日ゼロ時間に収束するか、一日できうるマキシマムまでいくかの、どっちかである。

 

*緊張感*

 

モチベアップのキーワードとして「緊張感」がある。

・なぜ、家では全く勉強できなかったのに、図書館ではできたのか。

・なぜ、テスト前になると勉強ができるようになるか。同様に締切に追われてどうにかギリギリになって仕上げることができるか。

 さっき書いたように、最初だるいものである。そのだるさを緊張感がとってくれるみたいな感じだと思う。が、家だと「だるい→ちょっと面白くなってきた」まで行く前に、やーめたになる。

あるいは、「疲れたぁ~少し休憩しようーよ」ってなったとき、家だったら、緊張感がなくなってそのまま、終わってしまうかもしれない。が、外ならどうにか最低限の緊張感は保たれているから、どうにかそこで終わらずに済む。

テスト・締切もそういった理由だ。

↓こちらの記事↓

家で仕事や勉強に集中するためにできること - 脱社畜ブログ

も参考になるかと思う。

 

私の場合が、どういうわけか最初だるみが強いというか、集中するまでが非常に時間がかかる(たとえ頭ができてきているときでも、起きてから数時間は集中できない)。しかし、いいところもあって、集中しだしたら、たぶん、普通のひとより長く集中力が続く。私の言葉でいえば、テンションが上がってきたというやつだ。

 

 

 

*あとがき*

 

私は自身をコントロールするということが、言わば人生のテーマだと思っている。(私の場合の問題は勉強が分らないじゃなくて、勉強をやる気がしないだった)

それぐらい自身をコントロールすることができない。最近くだらないにしろ、なぜかブログを書き続けている。それは、なぜできているのだろうか。

今の生活でもやりたいと思っているのにできないことはいくつかある。

結局、物理もテストなりの締切がないとできなかった。大学の講義が面白いとか関係なしに、講義があること(受けること)自体、どうにかモチベの維持になっていた面もある。

 

(調子よいときなら)、一日物理を10時間やるのが全く苦にならないというか楽しんでできた。そのことから、一瞬、アカデミックなポジションも狙おうかとも思った。

最終的に物理を選ばなかったのは、やっぱりテストがきっかけじゃないと勉強しない(動機が不純)とかで、あるいは、まわりと比べるものじゃないかもだが、まわりには本当に根っから物理が好きっていう人がいて、ちょっと違うかなって思ったからだ。

 

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PV数がたいして伸びないからこんな記事を書いてみた。みんな、”~する方法”とか”~するテクニック”が読みたいのは知っている。(誰かの自己分析なんて興味ないのも)

実際、自分もいろんな記事を読むのだが、ぜんぜんうまくいかない。っていうか、そんなので、うまかないっていうのは、10年前から知っている。