ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

phaさんの持たない幸福論を読んだ。

主張の内容はだいたい前著ニートの歩き方と同じで、より詳しく書かれていたりする部分、付け加えてといった感じだ。家族に関する考えが多かったかな。

 

特にいいなぁと思った図があったので、覚書き程度に!

 

***

社会と自分の関係と題されて節があって、

 

f:id:aobon700:20160530154344j:plain

 

こんな図が載っていった。 


実はこの図も
見田宗介の「宮沢賢治
という本の中のものをphaさんが修正したものらしい。


自分のことばで説明すると、理想的には自分のやりたいことや趣味と合致したもので、社会的に認められればいい。認められるというのは、具体的にはそれによりお金が得られればいい。
その状態が図の(1)にあたる。

 


が、なかなかそうもいかないので、自分としてはやりたくないが、社会的に認められる、お金がもらえることをやることになる。それが図の(2)にあたる。


やらなきゃいけないことで、ある程度折り合いのつくことだった場合は、うまいこと(1)と(2)を行き来するような感じで、うまく(1)に戻れればいいが、
完全に自分の嫌なことになって(2)が抜けられないような状態になってしまった。
その場合は(3)と(4)を通過するのがよい。


(3)はもはや、社会的にも自分的にもだめな状態で、すごく簡単に言えば仕事をやめて引きこもるような状態だ。
phaさんはこれをいっぺん死ぬと表現している(ほんとに死んではいけない程度にと書いている)。


そんな状態で引きこもっていると、だんだんヒマになり何かしらやりはじめる。そこでやりはじめることは、普通は自分のやりたいことをやるわけで、それが(4)の状態である。
そこで、見失っていた自分の本来のものを取り戻すわけである。


そこで、元気を取り戻しどうにか社会と折り合いつけて、(1)に戻るというわけである。


***
長いこと(2)にいることは、精神的にもきつい。そこで消費しきってしまって、(3)の状態に行くと、(3)にいる時間も長く深く落ちてしまうので、
ダメだと思ったら、適度に(1)-(4)のサイクルを通過すればよい。
(phaさん的には旅することがおすすめとのこと)


サイクルを通過して(1)にもどってくると、考え方も変わったりして、前の自分とは違った、言わばバージョンアップした自分がいるはずだ。


そこで見える風景、感じ方は前とは違ってまたどうにかやっていけるだろう。

 

***

 自分なりのまとめでした。