ふらふらと生きる。

ルサンチマンオーラを身に纏う *** 京大の大学院に受かったことあります。が、笑えないほど底辺

料理20150507

私の目指すは時短で簡単お手軽です。言ってしまえば雑な料理です。

 基本丼もの(or一品もの)の料理です。

開始から約15分で食べるとこまで行く。(たまにある野菜を切って冷凍しておく時間は抜かす)その場で一回分作って、作り置きなどはしない。

 

 

 ○冷凍

私は毎回野菜を切るとかが面倒だと思うタイプなので、あらかじめ切って冷凍しておく。(たいてい野菜は細かく切る)

・今まで冷凍したもの

 肉、にんじん、たまねぎ、ねぎ、ごぼう、ピーマン

というかなんでも冷凍した。

 

私が思う冷凍して味がまずくなったもの

 肉、じゃがいも

 

解凍のやり方をうまくやればたぶん、美味しくなる。肉なら急速で解凍すればいいらしい。が、いまいちうまくいかないときが多い。

 

○最近のハマリ

・ニンニク醤油

 適当にググるとでてくるが、醤油にローレルかつおぶしガーリックチップを漬け込む

・玉ねぎのおろし

 玉ねぎは大好きでなんでもいれるのだが、おろして例えばパスタのソースとかカレーとかに入れると美味しい。ちなみに勿論おろしたものは冷凍しておく。

 

・ガーリックチップス

今まではニンニク刻むのは面倒なので、市販のにんにくチューブを使っていた。最近はニンニク一つをガーリックチップスにして冷蔵庫に保存して入れている。

ガーリックチップスは適当に小さくスライスして、オーリーブオイルで炒める。

 

○ごはん

ごはんはいつも電子レンジで炊く。

適当な容器に、米水をいれて炊く。いい加減にフタをしないときすらあるがした方がいいようだ。水の量、何ワット(私はいつも200)で何分かは経験で(水の温度でも違うくなる)。少しずつ変えて調整する。最近の炊飯器は吸水なんてしなくてもいいそうなのだが、まずレンジで炊く場合、吸水した方が絶対いい。従って、ごはん食べ終わったら次の一食分を吸水させ冷蔵庫にセットしておく。

 

 ○魚

魚は本当は好きだが、面倒であまり使わなかった。缶詰に頼ったりもした。かつおぶしをおやつで食べる。

 

○タンパク質とおカネ

ここまで書くのも恥ずかしいかもしれないが、お金を節約しようと頑張って食材を買っていると、いくらかタンパク質が減りがちである。なので、エクセルシートに品別の100円に対するタンパク質の量のランキングを作っている。恥ずかしいので公開はできない。

 

○他

・乾燥しいたけ

しいたけは冷凍してもいいが、乾燥しいたけを粉砕したりしてる。雑に手で細かくして適当に入れることもある。

・袋ラーメン

袋ラーメンは前までまずい(後口が悪すぎる)と思って食べなかったが、やり方によっては結構食べれる。

例えば塩ラーメンなら、ワカメ、バター、玉ねぎ、ネギをぶち込むといった感じ。

・調味料

コンソメ、こんぶ系のだし、中華料理系のだし

などいろいろ使ってきた。基本野菜など一食しか一回で作らないので(野菜の量が少ないから)あってよい。しかし、ニンニク醤油・ウスターソースケチャップなど適当に入れれば要らないとも思える。いくらかその時の気分で変わる。

・おかずの量

おかずを作る量が多すぎてしまったよりは少なかったが多い。(基本ごはんもおかず一食分で保存しておく選択肢はない。)で、ごはんが余ったらごま塩で食べ、パスタのソースが少なかったらウスターソースで食べたりする。

 

・シチューとごはん

ごはんにシチューをかけるなんて野蛮な食べ方だと思っていたが、最近はありになった。ただし、いろいろ加える。

*ルーひとかけに対し

醤油小さじハーフ、ごま油小こさじハーフ

お好みでニンニク、オイスターソース、中華だし

牛乳は気分で入れたり入れなかったりする

 

○好きなもの

にんにく、玉ねぎ、ねぎ、ごま、豚肉、鶏肉、大豆のもの(豆腐・納豆・味噌・醤油)、辛いもの(胡椒、唐辛子、ラー油)

 

○嫌いなもの

嫌いものも料理法により食べれることが多い。

・人参が好きじゃないが、たいてい細かくすれば食べれる。

・ピーマンもキライだがトマトと一緒なら食べれる、酢といっしょなら食べれる。

・トマトも生は好きじゃないが火を通せば好き。トマトケチャップは好き。

・りんごもあまり好きじゃながリンゴジャムなら食べる。

 

○作る料理

とん汁、カレー、トマトパスタ、チャーハン、

次に多いのは

野菜炒め、中華丼、しょうが焼き、親子丼、炊き込みごはん、ペペロンチーノ、マーボー豆腐

 

・基本料理が失敗するかしないかは、塩分の量である。塩分の量さえ間違えなければ適当にやっても問題ない。

 

・揚げ物も一時期やっていたがブームがきてはさっていく。ちなみにじゃがいも普段ほとんど料理に入れることが少なくなったが、食べるなら揚げ物が一番いい。

 

・Googlekeepに上の料理全部だいたいメインの醤油とか調味料をどれくらい入れるか(比率)の早見表を作っているが、結局だいたい覚えてくる。さらに料理は慣れればだいたいこの調味料は入れていいなどみえてくる。従って最近はあまり見ることがない。

 

○まとめ

何よりもお手軽、時短を目指しているから雑な料理、だが割とうまい。

ここまで書いてアレだが、料理は好きだが食事に興味がない。そのことに関してのことも今度記事書こうと思う。

 

 

 

 

 

 

私は親不孝だとは感じるが

ある人の記事をよんだ。そのなかで"錦を飾って戻りたかった"というのが胸に刺さった。

 
私は親不孝者である。
この年で定職にも就かず、生産的なこともせず、未来の計画は白紙で、ディスられそうな部分をあげたらきりがない。
 
大学も学部時代は、親のかねだし(当然返せてない)、とった学歴も有効利用せず、ちなみに親も働く年ではない。
 
だからといって、私が定職につけばいいなど極めてまっとうで、普通の意見だが、私としては、そのような選択肢は現時点ではとろうと考えていない。
 
しかも、例えば一回就職したけど、病気になったりしてやめたとかならいくらか同情も得られるかもしれないが、そもそも就職をしようともせず、音楽やるわとかわけのわからないことを言って、東京にきた。(東京にくる必要性もない)
 
 
母親は私のことが心配で眠れないという。病気になるからちゃんと定職についてくれという。そこで私は、実際に病院にかかってから言ってくれ。そうしたら私も考える。とまで言った。
 
そもそも親孝行するのは当然という考えは普通だが、恩(かね)は返すものという考えを捨てれば、親孝行する必然性はどこにもない。
 
まぁこういったわけで、私はクソみたいな人間だが、情がないわけではないし、寧ろどこまでいっても親孝行がうんぬん考えている時点で、そのことにとらわれている。だからこそ(天然ではなく)、私はクソなのだ。
 
それでも私は親孝行はしない。
 
妥協点はない。
 
もしかりに私が(ありえないが)妥協なりして、あとで人生を犠牲にしたと感じたり、実際に親が私の心配で病気にかかったりすることもあるかもしれない。こういうのを誰かの言葉を借りれば親子という病というのだと思う。
 

はてなでブログ書くようになって

それまでは自分のサイトでブログと称しテキストサイトみたいな感じでやっていたが、

 今年の1月初めにはてなでブログを書くようになって、だいたい4か月くらいたった。

非常によかったと思っている。

 

はてなブックマークを覚えた*

最初、はてなブックマークなんてものの存在は知らなかった。

まずその存在を知って、Twitterホッテントリをつぶやく公式アカをフォローして定期的に回ってくる人気らしい記事を読むのは面白かった。

しかも本当にはてぶを知らなかったから、はてぶコメントの意味も最初分らなかった。

しかし、いつの間にかその存在も知って、はてぶコメントを読むのも覚えた。

さらに、どうやらそこでややアレなコメントをするのも礼儀(笑)らしい(ちなみにそれを手斧を投げるというらしい)ので、自分も気分がいいときはするようになった。くせになる感じがする。

 

はてなブログ

特定の人のブログを定期的に観測するのに、まぁ便利なアプリがあることはなんとなく前から知っている。だが、アプリもすぐ増えたりするので導入するのが嫌だったりとか、実は保守的なところが私はあるので知らないサービスとか積極的に使いたくなかったから使わなかった。

しかし、はてなでログインすると購読するとかいうボタンがあるもんだからまぁ使ってみたら、だんだん増えていって今数えたら30人以上にもなっていた。(なんではてなダイアリーは購読できないんだ!)

はてぶコメントともアイコンが連携しているから、「あ、この人こんなコメントしてる。」っていうのを見るのも面白い。

はてな村とも言われるが、適当な検索ワードでブログに引っかかってそれがはてなブログだと、仲間は言い過ぎだけど、親近感みたいなのは湧く。逆にそのせいではてなブログじゃないと、「はてなじゃないのかよ~」みたいな気持ちになってしまう副作用もあらわれた。

とにかくより一層(はてなに限らず)ブログを読むようになってしまった。

 

*PV数*

1月から始めて、記事は32書いて、PV数は1365と表示されている。

PV数が1356ではあるが、だいたい20PV/dayの感じだ。これは多分少ない。

 

そんな中でリアルでの友人数人に実際に会ったりしたときに、「ブログ読んでるよ」って言われるのは嬉しかったし、なんか購読者がでたり、コメントがあったりで、これが承認による快感かと、悦に浸ってわけだ。

 

*ブログを書くこと*

ブログを書くこと自体はメリットが本当に多くて、前にも書いたような気がするから簡潔に書くことにする。

自分が書くと他の人がどんなこと書いているんだろうと気になり読む。気になるのをみつけて購読ボタンを押す。さっきも書いたように気づくと30人を超えていたわけだが、はてなーはいろいろな人がいて面白い。この人と会って話してみたいなーっていう人は正直いますね。

あと考えがまとまったりしていい。

”書いたこと”によりその内容がより意識付けられる。(これはメリットでありデメリットでもある)

ただ書く時間読む時間でかなりの時間を消費するので。困ったものですね。

疲れたり飽きたらやめるかもしれないし、あんまネタがないのに書くのもアレなんでね。結構いろいろ書いてもうネタ尽きてた…とかよく思うのですが…。

 

あと、重要なことですが、前のお蔵入りの記事とも関係があることで、一日で作業が完了(ブログを書ける)ということがとても良いです。寝かせないからその日でちゃんとだせる。それで、何かできたという快感から、ブログが続いているように思うのです。

 

 ***

 

こんな感じです。

 

 

 

 

スマホゲームのグランブルーファンタジーをやってみた

自分はゲームにはまったらがっつりはまるタイプで、そうなると他を何もしなくなってしまうということを知っている。それで去年は3カ月程度ゲーム以外何もしないというヤバイ過ごし方をした思い出があるので、スマホゲームだけは避けてきた。

 
しかしながら、つい友人に勧められて、グランブールファンタジーなるものをやってしまった。
この類のゲームは艦これだけやったことあったので、だいたいそんな感じかなーのイメージでスタートさせた。
 
*面白いか?*
結論的には微妙である。
要するにただ数字(強さのこと)が増えていくこと喜びを覚える。その数字も時間をとにかくかければいい。
強さの数字の伸びは最初どんどんあがるが、だんだん増えなくなるようになっている。やがては課金しないとほとんど伸びないくらいまでいく。
 
他のソーシャルスマホゲームもそうなのだろうけど、基本キャラゲーで豪華声優陣であり、ガチャなりでキャラが増えることに快感を覚える。
あるいは、強い武器か召喚獣をゲットすることに喜びを覚える。
 
デザインもいいし、音楽もあの植松伸夫だ。
ゲームの世界観や敵キャラ、召喚獣の二次絵を見ると、昔のFFやロマサガが思い出された。
 
 
極めて単純な連打ゲーではなく、いくらか戦略的なところはある。が、そこまでてはないというかどこかもの足りない感じは否めない。
 
このソーシャルゲームのヤバイところはそんなにゲームとして面白いと思えないのに何となくやってしまい、気付くとかなりの時間が消費されているというところである。
 
私は1000円ぐらい課金しようかと思ったが歯止めがきかなくなることをおそれ踏みとどまった。課金していないが、たぶん30時間以上はプレイした。もしかしたら50時間くらいやっているかもしれない。
 
やや批判的に書くとあまりこのゲームでは多くを語れる気がしない。ソーシャルゲームはゲーム性としては、だいたいはただ数字が増えてくゲームだと思う。あとは世界観やキャラで勝負かなと。そういう意味では艦これの方が私にはうまいこと行っているように思える。
 
世界観などからもっと魅力を感じてもいいような気がするのに、いまいち興奮しなかった。本当に残る感想は声優よかったなーぐらいである。これがソシャゲーなのかもしれない。
 
もうちょっと言うと、少なくともストーリーの魅力は一切なかった。声優は良かったもののキャクターが今の時代においてはベタ過ぎる。良くないわけではないが印象が薄い。たぶんゲーム作りの方針として過去のFFファンを取り込んだり、出来る限り幅広い層を取り込むことを狙っているからなのだろう。個人的にはヤンデレのお姉さまお姉さま言っているキャラだけは良かった。
 
言うても艦これもその当時あった面の残り2つくらい残して一切やってない。それでもグッツや二次創作的なものはお世話になっている。(私にとっては)感覚的にはゲームがおまけのようなそんな感じかなぁ。
 
30-50時間を費やしたことにネガティブな思いはあるが、スマホゲーはこんなもんかというのが分って良かった。私は持続的にというか断続的に続けるのは不得意なのであまりもうやらないかもしれない…。
 

記事など作ったもののお蔵入りについて

今までブログ書いたり、曲作ったり、あるいはひとりでラジオとかとったりも実はした。

最近は記事をさらっと書いたらとにかくアップするようにしているが、
自分のなかでもうちょい練りたいとか、なんか考察足りてないとか、要するにクオリティ低いかなって、そんな感じでなんかあげるのを躊躇ったりすることがある。
実際に「時間をちょいおいてみよう」とかいっていったんあげるのをやめる。そうすると、その記事や作品がちゃんと磨きあげられた上でアップされることは極めて稀で、そのまま悲しいかな、お蔵入りするのである。
 
だから、前もブログなんて永遠のベータ版でいいとか言ったりしたわけだけど。
 
(あるいは、完璧主義の問題という側面もある。)
 
とにかく、微妙なクオリティだと思ったとしても、出した方がいい。
 
去年、曲も作ったりしたが、なんか結局ひとつも世にでることはなかった。どうにかこうにか微妙でもいまいちと思ってもなんでもいいから、一応形作りだけはして(曲とか文章が途中で切れてるとかだけ避けて)、出せばいい。
 
(ということは頭の中では分っているのだけれど、心に刻みたいということでこの記事を書きました。)
 
 
 
 
 

なぜあの人はあんなわけのわからない主張をいうのか

自分とはまるで違うことを言う人がいる。

 
もしかしたらこいつは頭がおかしいと思うかもしれない。
 
私も理解できるとか話せば分かるなんてウソだと書いてきた。
 
なぜあの人はあんなわけのわからない主張をするのか、たった今ウソと書いたことを覆すようだが、理解できる方法を示す。
 
*なぜそんな主張をするのか*
マンガでもよくキャラの過去の話がでるが要するにそういうことである。
どんなこども時代を送ったか。どんな体験をしたか。その時代はどんな風だったか。どんな性格か。どんな持病を持っているか。得意不得意なことは何か。好きなこと嫌いなことは何か。親はどんなだ。お金もちか貧乏か。
さらに言えば、男か女か。体格はどうか。容姿はどうだ。どの国に生まれたか。どんな気候で育ったか。分泌されるホルモンの量はどんなだ。トラウマなどはあるか。成功体験があるか。
 
などなど。
これらをすべて知ることができれば、なぜそんな主張するかを理解できる。(はず…)
 
ただ、普通はそれらすべてを明かさない。というか、その数%も明かすことはない。
 
***
 
話せば分かるなんていうのはウソである。と言いながらも、私は国交断絶は避けたい、面白くないといつも思っている。
 
だからこう言い換えよう。
1-2時間話せば分かるなんていうのはウソ。
けど、100-1000時間ぐらい話せば分かる(はず…いろいろ語ってくれれば)。
 
まぁ大抵は嫌なこととか思い出したくないこと語らないですからね。
また、しゃべってるとすぐディスってきたりとか、嫌なこと言ってきたりすれば、10分すら話すのもムリな場合もある。そもそも性格が合う合わないとか、似たような体験してるとかで会話が続く続かないありますからね。
 
そういう意味で結局はムリなんだけど。
 
 

正論とか正義なんてものは本来ないんだ

自分も説明が下手な上、まとまってない部分もあり、何がいいたいか伝わらないかもしれないが、こんな記事を書いてみる。

 

よくネット上でも正論とかいう言葉を目にする。

あるいは、正義という言葉についてだ。

ある意味では数学でいう、公理がどうとかに近い考え方であり、

論理的思考に関する記事の続編でもある。

 

***

以前に

物理・数学の議論は正しいか正しくないか(ロジック)しかない。(もちらんニュークリアボムを作ってしまったなのど問題はあるが)

社会問題や経済なんかは、あっちをたたせるとこっちではマイナスを被るといったことなので難しい。(主義とかイデオロギーの話に移る)

と私は書いた。この後半の社会問題の部分の話だ。

 ***

本当は正論とか正義なんてものはないんだ。

(論理的に正しいはある)

 

具体例を上げて説明できれば、本当は分りやすいのだが、

なんか適当な社会問題などで正しいとか正論っていわれる場合がある。

その場合、現代において大抵の場合は、

「最大多数の最大幸福(功利主義)」を正しいと(勝手に)決めてその上で、何かその社会問題が正しいとか正しくないとかいう議論になる。

注:私の意見なのだが、実際は最大幸福ではなく、最大平均寿命となっている。面倒なのでここでは幸福とした。

 

この「最大多数の最大幸福」についてももっと切り込むことが出来て、最大多数を正しいとしていいのかとか、幸福を正しいとしていいのかなどある。

 

後半部については

幸福なことが正しいとする必要はどこにもない。人によってはさっきも言及したように寿命を延ばすことが正しいとしてもいいし、例えば、快楽が正しいとしてもよい。本能に忠実なものを正しいとしてもよい。他のヒトに迷惑をかけないあるいは最小限の迷惑を正しいとしてもいいし、哺乳類に迷惑をかけないとかを正しいにしてもいい。あるいは、単純に法律に書いてあることが正しいでもいい。

前半部については

個人の視点だけで、自分が幸福なことが正しいとしてもいいし、人類全体が幸福なことが正しいとしてもいい。

 

想像できるように社会問題においては、どれもメリットデメリットがある。あなたの主張はより根幹部で何に正しいを置いているのかを問いたい。

ただ私は、矛盾をディスりたいわけでも、ダブルスタンダードをディスりたいわけでもない。原理主義をおしすすめる方がいいことを主張したいわけでもない。

 

私がいいたいことは、正論や正義なんてものは本来ないというか勝手に決めるものだよということだ。

そして、繰り返しになるが

あなたが正しいとか正論とか正義という言葉を使うとき、より根幹部で何に正しいを置いているのか?

 

もしかしたら、先生が言っていたから正しいとか親が言っていたから正しいとかエラい人が言っていたから正しいとか、○○に書いてあったから正しいとかって人もいるかもしれないが、それを正しいとするならそれはそれでいい。

あるいは、歴史的に正しいとか伝統的に正しいとかか、まぁ思い付くのはいろいろあるが。